『千と千尋の神隠し』の油屋のモデルと言われる道後温泉本館の営業再開が話題となり、古くは『坊っちゃん』の舞台として有名な愛媛県松山市は、正岡子規を排出した町でもあり、俳句の町としても知られています。日頃から市民が俳句に親しみ、地元の愛媛新聞には100を超える俳句が掲載される日も珍しくないようです。そんな松山市を訪れたのは、メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者で、生きづらさを抱える人たちの支援に取り組む引地達也さん。車座になって各自が投句し、味わい、共有し、讃えて「批判はしない」「無視されることもない」松山の句会のあり方には、誰もが「学び合う」生涯学習のエッセンスが凝縮していると伝えています。
松山市の俳句から見えるインクルーシブな生涯教育
目の前に運ばれた御馳走は、豊富な食材で色とりどり、瀬戸内海の名産は何かとながめていると、ホスト役が「この食材で一句お願いします」と楽し気に笑った。そして、食欲をなだめながら、頭を文学志向へと変換し言葉を考えるのは面白い。そう、松山市は俳句の町。街角に正岡子規の歌碑があり、夜の宴にも俳句が飛び出す。
私が松山市を訪問したのは文部科学省の「障害者生涯学習支援アドバイザー派遣事業」として、就労支援を行う福祉サービス事業者への研修のためで、「障がい者と学び」について話すのがミッション。
松山訪問は、私にとってはちょっとした高揚感がある。文芸と野球で有名なこの地に惹かれ続け、毎日新聞社記者時代には勤務希望地に松山支局を書いたこともあったが、縁がなかった。そして、今、ご縁をいただいたこの機会に見えてきたのは「俳句」と「生涯学習」の美しい調和である。
街の真ん中にある松山城は小高い山の上に天守閣があり、それは町のどこからでも見える。そのシンボルに見守られるように、市電が行きかい、お年寄りが乗る自転車は元気そうに見える。穏やかな海と緑、町と人、自然のバランスがちょうどよい。ここに俳句である。
松山市のホームページでも「松山市と俳句」とのページを設けて、地域資源と位置づけているようだ。このページによると、「俳諧は正統の連歌から分れて、遊戯性を高めた集団文芸」であり、「明治時代には正岡子規より創作性が重視され、二の句がつげない俳句として独立しました」と説明する。
俳句の基本は、お互いに車座になり、各自が投句することから始まります、とのことで、松山市が盛んなのは、正岡子規の存在以前、「久松松平初代藩主定行が身分を超えて御用商人と座を同じくし、滑稽とおかしみのある俳諧を楽し」んだことから始まる。つまり、それは民衆の教養、江戸時代の生涯学習といえるだろう。
元禄時代の4代藩主の定直は芭蕉門の宝井其角に入門、町方大年寄役、栗田樗堂は、2度来遊した小林一茶をもてなし、明治時代の正岡子規による俳句革新運動につながる。
松山市は「俳句ポスト」を設けて、日常的に俳句を募集し、地元の愛媛新聞にはその句が掲載される。愛媛新聞にはほぼ毎日、いくつかの俳句が紙面を飾る。愛媛新聞に勤務する友人によると、各地区にある「俳句会」のコミュニティが定期的にメンバーの句を選定し、持ち回りでその句が新聞に掲載する流れだという。









