それでも「核武装は安上がり」に賛同するのか?原爆の犠牲になった妻子4人を自らの手で焼いた俳人による「慟哭の記録」

Hiroshima,/,Japan,-,August,21st,2019,:,Hiroshima,Atomic
 

原爆投下から80年を迎えた今年、初めて10万人を割った被爆者の方々。彼ら彼女らの平均年齢も86歳を超えた今、被爆体験の風化が大きな懸念となっています。そんな中にあって人気ブロガーのきっこさんは今回の『きっこのメルマガ』で、原爆投下を自分ごととして感じられるようになったという、長崎の原爆で妻子4人を亡くした俳人の句抄を紹介。その上で我々日本人は「8月6日と9日という日を絶対に忘れてはならない」と記すとともに、石破首相に対しては核兵器廃絶に向けた「力強い戦後80年談話」を世界に向けて発信すべきとしています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:原爆の日

絶対に忘れてはならない記憶。原爆の日に読むべき被爆俳人の句

80年前の今日、昭和20(1945)年8月6日、広島に原爆が投下されました。そして、3日後の8月9日、長崎に原爆が投下されました。それから80年、世界では幾度も戦争が繰り返され、現在も愚かな指導者による理不尽な戦争が続いていますが、戦争に原爆が使われたのは、未だに広島と長崎の例だけに留まっています。つまり、原爆はそれほどまでに残酷で非人道的な兵器であるということが、広島と長崎で証明されたということなのです。

そこで今回は、特別企画として、原爆にまつわる俳句を紹介したいと思いますが、まずは次の句を読んでみてください。

八月や六日九日十五日 詠み人しらず

「はちがつや/むいかここのかじゅうごにち」と読むこの句の意味については、日本人であれば説明の必要はないと思います。「六日九日十五日」という日付の羅列がちょうど五七五の「七五」になっているため、上五に「八月や」や「八月は」を置いた句が、複数の俳人によって詠まれて来ました。

俳句はわずか十七音の世界最短詩形である上、その句が詠まれた時期を示すための季語が必要なので、どこかの誰かが詠んだ句と類似した句や、場合によっては一字一句同じ句が生まれてしまうことが多々あります。このような作品を「類想類句」と呼び、基本的には一番最初に発表した人の作ということになります。

しかし、この句の場合は「一番最初に発表したのが誰か」ということを調べて作者を特定するよりも、複数の人が同じ思いでこの句を詠んだという事実に重きを置き、この句を日本人の共通認識として「詠み人しらず」の形で残そうということになりました。大切なのは、誰の作なのかを特定することではなく、戦争という悲劇を二度と繰り返さないために、この句に詠まれた三つの日付を決して忘れないことだという判断です。

あたしは敗戦から27年後の昭和47(1972)年、東京の渋谷に生まれたので、戦争も原爆も遠い存在でした。小学校の社会科で、あたしは自分が生まれる前に戦争があったこと、広島と長崎に原爆が投下されて多くの市民が殺されたこと、今も多くの被爆者が苦しんでいることなど、最低限のことは教わりました。でも、東京で生まれ育った小学生のあたしにとって、遠く離れた広島や長崎での原爆投下は実感がともなわず、よその国の話のように感じられました。

それよりあたしの場合は、おばあちゃんから何度も聞かされた「東京大空襲」の話のほうが衝撃でした。特に激しかった空襲が、昭和20年3月10日と5月25日だったと聞かされました。当時、二十代半ばだったおばあちゃんは、結婚したばかりでお腹には初めての赤ちゃんがいました。でも、おばあちゃんの夫、あたしにとってのおじいちゃんは、赤紙一枚で徴兵されて南方の島へ派兵されていたのです。

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