「政権が変わっても収入は増えない」という絶望。ホンマでっか池田教授が憂慮、経済的な分断で下がる投票率と“バカの壁”に敗れる民主主義

Adachi,Ward,,Tokyo,,Japan,-,June,30,,2025:,Numbered,Ticket
 

先人たちの尋常ならざる努力により、我が国の成人国民すべてが獲得した選挙権。しかし昨今の国政選挙の投票率に目をやると、決して高いとは言えないのが現状です。何がこのような状況を招いたのでしょうか。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では生物学者でCX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみの池田教授が、国民の経済的なボリュームゾーンに着目しその原因を考察。さらに「何をしても報われない人々」の怨念の行き場に対する懸念を記しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:民主主義はバカの壁に当たって敗れるのか

事態は深刻。民主主義は「バカの壁」に当たって敗れるのか

『バカの壁』(新潮新書)は養老孟司のベストセラーだが、もとは「数学はバカの壁に当たって敗れた」との養老さんの著書(どの本だかは忘れた。調べればわかると思うが面倒くさい)の中の文言を、編集者が借用して新書の題にしたものだ。数学は万人に対して開かれているので、間違いのない客観的なものだが、バカには理解できないので、大半の人がバカである共同体では、敗れるほかはないという話だ。

さて民主主義であるが、民主主義の基本はすべての国民が平等な参政権を持つことだ。参政権の中で最も重要なのは選挙権と被選挙権であろう。日本では、衆議院議員の選挙は1889(明治22)年に始まったが、選挙権は一定の税金を納める(最初は直接国税年に15円以上)25歳以上の男子、被選挙権は納税の要件は同じで、満30歳以上の男子であった。女子には選挙権、被選挙権が共に与えられていなかった。

今から考えるとひどく差別的な制度であるが、当時はある程度の資産と教養がない人は、政治家になったり政治家を選んだりする資格がないと思われていたわけだ。女子に参政権が与えられなかったのは、女には男と同等の能力はないとハナから決めつけられていたからだ。日本で、女子に参政権が与えられたのは、太平洋戦争敗北後の1947(昭和22)年で、ここから男女平等の普通選挙が始まった。

すべての国民に等しく参政権が与えられる理念上の背景は、すべての国民はそれなりの教養と判断力を持っているという前提である。子供は判断力がないということになっているので、参政権がない(日本では18歳未満)。もちろんこれはフィクションであって、呆けた人には判断力はないし、15歳くらいでも大人以上に的確な判断ができる人もいる。しかし民主主義は個々人の能力や人間性はそれぞれ異なるという事実に目を瞑り、政治的な権利は平等であるというフィクションに固執する。

プラトンは、真理と善を認識して、これを現実世界に適用する知識と知恵を持つ「哲人」が政治を行うのが理想だと考えた。しかし、何が「真理」で、何が「善」かを、人間が判断する以上、神ならぬ生身の「哲人」が判断して実行した「真理」と「善」が人々を幸福に導く保証はない。むしろ、「哲人」のふりをした独裁者が、「真理」と「善」を行うと称して、住民の多くを不幸のどん底に陥れた例は20世紀以降でもヒトラー、スターリン、金正恩など、枚挙に暇はない。

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