日本の首相が代わるたびに掲げられてきた拉致問題の最重要課題。しかし、2002年の小泉訪朝から23年が経っても、新たな帰国者はゼロのまま。今回のメルマガ『有田芳生の「酔醒漫録」』では著者で衆院議員の有田芳生さんが、高市早苗首相の拉致問題の「勇み足」について語っています。
高市早苗総理の拉致問題での勇み足
小泉純一郎総理と金正日総書記がはじめて首脳会談を行い、北朝鮮が日本人拉致を認めたのは2002年9月17日。
それから23年。5人の拉致被害者が帰国したが、政府認定拉致被害者の詳細な安否も不明なまま、結果的には新たな生存者の判明も帰国も実現していない。
正確にいえば政府認定拉致被害者の田中実さんと「北朝鮮に拉致された可能性を排除できない」金田龍光さん(いずれも神戸出身)が生存していると北朝鮮側が2014年、15年に伝達したにもかかわらず、当時の安倍晋三政権をはじめ、政府はいまに至るも無視し続けている。拉致問題も風化し、いまでは横田めぐみさんのことさえ知らない世代が生まれている。未帰国の被害者の親ではもはや89歳の横田早紀江さんひとりになってしまった。
横田さんもあと3か月で90歳になる。内閣の最重要課題とされながらまったく解決に進まない拉致問題はどこに問題があるのか。
11月3日午後2時から平河町にある砂防会館別館の会議室「利根」で拉致問題解決のための「国民大集会」が行われた。「大集会」といっても参加者は主催者発表で800人。小泉訪朝のころの熱気と比べると昔日の感がある。
この集会で高市早苗首相は「すでに北朝鮮側には首脳会談をしたい旨、伝えている」と語った。
高市総理が誕生したのは10月21日だった。政権幹部によると就任直後に北朝鮮側に会談を呼びかけたという。この発言は当日のテレビや翌日の新聞各紙でも大きく報じられた。被害者家族にも期待が広がっている。
だが北朝鮮の日本政府に対する対応を経過的に見ていれば高市総理の発言は「やってる感」(安倍晋三)でしかないことがわかる。
まず「北朝鮮側に首脳会談を伝えた」とは何か。いつもの方法だった。たとえば北朝鮮がミサイル発射などを行う。日本政府は「北朝鮮に厳しく抗議した」と高官がコメントを出す。
国民のなかには政府の姿勢を評価する者もいるだろう。だが実際には北京の日本大使館から北朝鮮の大使館に抗議文をファクスで送り、電話で確認するだけなのだ。
こんどの総理就任直後の首脳会談の申し入れとは、やはり北京の大使館からファクスで基本方針を伝えたのだろうか。多くの専門家がそう判断した。だがそうではなかった。
北京ではない第3国から北朝鮮側に高市総理の意思が伝えられた。だが北朝鮮側の基本方針は、2024年3月26日に金正恩総書記の妹である金与正副部長が「日本側とのいかなる交渉も接触も拒否する」とコメントしたとおりである。
意向の伝達に直接は回答しない。しかしメディアを通じて基本的見解は公表される。
「国民大集会」で高市総理が大見えを切ったのが11月3日。朝鮮労働党の機関紙『労働新聞』(10月30日付け)は、「高市早苗も右翼保守層を代表する人物」「強行保守派」と書いた。さらに「国民大集会」当日には「右翼内閣」(11月3日付け)と厳しく評価した。日朝交渉が動く兆しはない。
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