日本の親が気づけない「子供をバイリンガルに育てたい」の危険性

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近頃は子どもを「バイリンガル」に育てたいと英語教育に力を入れる親御さんが増え、幼い子が流暢な英語を口にするという光景も目にするようになりました。しかし、無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』の執筆者のひとりで米シアトル在住の英日翻訳家・TOMOZOさんは、自身の子育て経験を交えながら「漠然と子どもをバイリンガルに育てたいと思っている親は考え直した方が良い」との持論を記しています。

バイリンガルのコスト

日本では子どもの英語教育に熱心な親御さんが多い。

日本では義務教育で6年間英語を学ぶのにほかの国に比べて英語力が低い、なんとかしなければ、という議論をよく耳にする。小学校でももうすぐ英語とプログラミングが必修になるとか。

私は英語教育についてはまったくの門外漢でしかないが、大人になってから英語をなんとかかんとか身につけ、英語圏で生活して、英語と日本語の環境で子育てをした立場で、つまり日本の英語教育については完全に外から眺める立場で、思うことをちょっと書いてみる。

英語教育の現場に立っていらっしゃる方から見るとピントが外れていたり、何をいまさらと思われるかもしれないが、部外者の勝手な感想だと思ってスルーしていただければ幸甚である。

日本の、特に子どもの英語教育で違和感を感じるのは、それが「としてのみ捉えられているようにみえるところだ。

日本の人は芸事が好きで、特に試験とレベル分けが好きだ。

お茶でもお花でもスポーツでも書道でも将棋でも、級や段が細かく分かれていて、少しずつレベルアップしていくシステムが浸透している。これが英語にも適用されていて、TOEICや英検などが英語力の目安になっている。

もちろん、レベル分けそのものが馬鹿げているなんていうつもりはない。自分のスキルを一般的な基準に照らしてチェックするのは必要なことだと思うし、やる気にもつながる。

でも、子どもの言語力にこういう考え方を当てはめるのは意味がないと思う。

もちろん言語はスキルには違いないのだけど、同時に言語は文化であり思考プロセスそのものの一部であり、その人の内面の大きな部分を構成する要素でもある。

そのことが、英語教育の議論ではほとんど無視されているように見えてならない。

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