英国の国民投票後に1ドル101~102円付近まで上げていた円は、7月12日から急に下がりはじめました。7月20日現在は、高値の100円から約6%戻し105円93銭となっています。では、世界の金融機関とヘッジファンドは一体何を予想して「円売り、ドル買い、ユーロ買い」に戻ったのか?
それが、本稿がテーマとする、日本政府と日銀の合作による「ヘリコプター・マネー」の可能性とその帰結です。
円が急落する直前の7月11日に、ベン・バーナンキ前FRB議長が来日し、日銀を訪問して黒田総裁との会談を済ませ(90分)、その後、安倍首相に会っています(30分)。バーナンキを招いたのは日銀ではなく日本政府でした。
政府は3月にも、スティグリッツとクルーグマンを招き、「2016年10月からの公共事業=財政支出10兆円(補正予算)」を決定しています。(『ビジネス知識源プレミアム』吉田繁治)
※本記事は有料メルマガ『ビジネス知識源プレミアム』2016年7月20日号を一部抜粋・再構成したものです。興味を持たれた方は、ぜひこの機会に今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。
ヘリマネを「検討している」と言うわけはない。真実はどこに?
現在は平時か有事か
ヘリコプター・マネーとは、中央銀行が国債を政府から直接に買って、中央銀行の増発マネーで財政のファイナンスをすることです。
【有事】
近代国家が総力戦をする戦争のときは、一般に、大きな戦費のため銀行が引き受けきれない国債が発行されるので、これが行われます。戦争は経済的には公共事業です。戦費=武器調達費+兵士の雇用+食糧費+医療費+年金です。
【平時】
わが国の財政法は、日銀が政府から直接国債を買うことを「財政ファイナンス」として禁じています。
(注)ただし国権の最高機関である国会の承認があるときは実行できます
現在の異次元緩和は、金額は1年80兆円と大きくても、いったんは金融機関が国債を買い、形式的にせよ金融機関が買った国債を日銀が買っています。このため、政府と日銀は「異次元緩和は財政ファイナンスではない」と主張しているのです。
ヘリコプター・マネーの具体的な手法
日銀が政府から直接に国債を買う財政ファイナンスと、そのマネーによって財政支出を増加させるのがヘリコプター・マネーです。
銀行が買うというクッションがないので、国民の貯蓄は使わない。日銀が増発したマネーを、政府が財政支出に使います。つまり戦時国債と同じです。
どんな方法が取られるか?
政府が1枚10兆円の国債を発行し、それを日銀が買い受け、政府の当座預金に10兆円を振り込む。このときの国債には2種類があります。
【財政ファイナンス】
(1)額面10兆円、金利0.3%、償還期間30年の国債(100万円の国債1000万枚でも同じ)を、日銀が政府から直接に買う
(2)額面10兆円、金利0%、償還期間無期限のコインを1枚、日銀に向かって、財務省が発行する
500円のコインに10兆円と書くだけでいい。現在でも、500円玉以下のコインは、日銀ではなく財務省が発行している政府通貨です。
日銀は10兆円と刻印されたコインを10兆円で買って、10兆円のマネーを、政府の当座預金に振り込む。政府は国債のような利払いと償還が不要です。これは政府紙幣の発行と同じです。
(注)2008年9月のリーマン危機後、2009年の年初に米国(オバマ政権)で、$1兆(105兆円)のプラチナコイン1枚が検討されたことがあります。しかしこれは、いかにも財政ファイナンスであり、事実上はインフレを招く政府マネーの発行として退けられました。
「通貨信用の根底は政府信用だ」と考えている経済学者は、時に、こうした異常な提案をします。
(3)上記(2)と同じですが、額面10兆円、金利0%、償還期限無期限の国債(市場性がない)を、日銀に向かって発行する
政府は、(1)(2)(3)で得たマネーを10兆円の財政支出に使う。これがヘリコプター・マネーです。10兆円が20兆円、30兆円になっても方法は同じです。
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2017年には「日銀に出口なし」が市場コンセンサスとなる
いったん銀行が買った国債でファイナンスしているときは、銀行は国民の預金で国債を買うので、貯蓄による消費減を、政府が財政支出の需要にすることになります。このため国の生産を超過する需要ではなく、インフレにはならない。需要不足からくる不況対策になるのです。
現在、日銀が「異次元緩和」で買っている国債は、いずれは出口政策による日銀の国債売り、日銀当座預金の減少に繋がるため、「5年間でも一時的」と見られているのです。
(注)ただし実際には出口政策はとても困難です
現在の金融市場はまだ、日銀が国債を売って膨らんだマネーを縮小させるときがくると見ていますが、2017年になれば「出口なし」の認識に変わるでしょう。
マネーの縮小がない、日銀による財政ファイナンス
前掲(1)~(3)ような財政ファイナンスでは、国債の償還がないため、日銀が保有国債を減らして、マネーを縮小する手段がない。
このため拡大したマネタリー・ベースが、将来にわたって減ることはない。結果は、増えた財政支出によって作られた需要の超過によるインフレです。これがヘリコプター・マネーの帰結です。
仮に財政支出が、1999年の買い物に使えた地域振興券(1人2万円:総額6194億円)や、現在の児童1人当たり5000円/月の子育て支援金の増額になったとしても同じです。
つまり、バーナンキが言う「ヘリコプターでばらまくマネー」のようになるかどうかは、日銀が恒久的な財政ファイナンスとして国債を買うかどうかにかかっているのです。
ヘリコプター・マネーはインフレを招く
ヘリコプター・マネーの方法で、赤字の政府財政のファイナンスが行われると、名目GDPを増やす消費財のインフレになります。
10兆円ならGDPの2%ですから、1年後に物価(CPI)は2%は上がります。20兆円なら4%の消費財インフレです。
これには、増え続ける通貨の価値の下落による大きな円安も伴うので、そのぶん輸入物価上昇からのインフレも加わるでしょう。
バーナンキが日本に来た翌日、金融市場は、今秋からの「ヘリコプター・マネー」実施を予想し、円を売り、ドルとユーロを買ったのです。数日で5円も下がる円安は異常なものです。
首相を補佐する菅官房長官は、翌日の定例会見で「ヘリコプター・マネーは検討していない」と否定しました。しかし検討していても「検討している」と言うわけはない。真実はどこにあるのか?
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「バーナンキを日本に招いた」事実だけが、真実を物語る
ベン・バーナンキを、英国のユーロ離脱に起因した円の急騰(6円幅)直後に招いた理由にこそ、真実があるでしょう。
マイナス金利下の円高は、株価の下落を招き、将来の財政破産も早めて、アベノミクスの失政を発現させるからです。安倍首相は、参院選挙前に「アベノミクスにはまだまだ、いくらでも方法があるんです」と言っていました。これが指すのはヘリコプター・マネーでしょう。
安倍首相は、
- 異次元緩和によるマネタリー・ベースの増加
- ヘリコプター・マネーによるマネー・サプライの増加
を混同していた節があります。
自民党が政権に就くことが確実視されていた2012年10月頃に、「日銀に紙幣をじゃんじゃん刷らせて、公共事業(財政支出)を10年で200兆円行う(国土強靭化投資)」と言っていたからです。
多数派の国会で日銀法を改正し、日銀の政府からの独立をも奪うとしていました。当時の白川総裁は、安倍首相に抗議し、任期切れ前に辞任しています。白川総裁は、日銀は国債を買ってマネタリー・ベースは増やせても、マネー・サプライは操作できないと言っていたからです。
当時の安倍首相の発言内容は、マネー・サプライを増やしてインフレを作るヘリコプター・マネーそのものでした。これを見て海外ヘッジファンドは円の価値下落を予想し、円を売り浴びせて円安にしています(80円→100円→120円)。
その後、国土強靭化投資案は消えましたが、2016年秋には復活しそうな印象です。
2016年秋に何が起こるか
英国のEU離脱、トルコの大規模な軍事クーデター、フランス南部ニースのテロ、中国の南シナ領土問題、キャメロンの辞任とメイ首相の就任、トランプ候補の米共和党での指名など、世界の動きは日々の単位で激しい。
これらは、根底のところで、リーマン危機後のゼロ金利による金融バブル経済が煮詰まり、中身が露出してきたことによるでしょう。
国民の所得格差への不満を原動力にしたトランプが米大統領になればドル安が襲います。クリントン人気の低さから、トランプ大統領もあり得るシナリオですが、金融市場にとっては英国EU離脱以上の衝撃になるでしょう。いずれも今秋です。
経済の上を、政治リスクが覆ってきました。日本では「アベノリスク」です。
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金融機関は耐えられるのか?ヘリマネの最大問題とは
ヘリコプター・マネーによる財政出動になり、金融市場がインフレを予想するように変わったときの最大問題は、(1)大きな円安と、(2)国債の金利高騰です。
国債(中心である10年債)の中立的な金利は、「GDPの期待上昇率+物価の期待上昇率=名目GDP予想成長率」です。
ヘリコプター・マネーという方法での、財政支出の増加10兆円は、確実に、名目GDPを現在の水準より2ポイント(%)は上げます。そうすると長期国債の市場での利回りは2%(または3%)に向かって上がります。
満期の償還額面より高くなっているマイナス金利の国債(-0.3%/年)を持っていれば損をするので、金融機関が売りに出し、2%や3%の利回りになるように下がらないと売れないからです。
マイナス0.3%が、現在の10年債の利回りです。期待金利が2%に上がると、国債の流通価格は19%下がります(単利で計算)。
(1-0.3%×10年)÷(1+2%×10年)=0.97÷1.2≒0.81
日銀以外の金融機関がもつ国債は、平均償還期間が8年で、500兆円です。「500×19%×0.8≒76兆円」が、金利が2%に上がったときの国債価格の下落となります。この損失に、金融機関は耐えきれないでしょう。
そうなると、自分だけは損をしないうちに、という動きが横並びになって売りが殺到し、国債価格はもっと下がり、市場の金利は瞬く間に3%から5%へと上がります(2010年のユーロ危機を見るとその期間は3か月から6か月と短い)。これがヘリコプター・マネーのリスクです。
※本記事は有料メルマガ『ビジネス知識源プレミアム』2016年7月20日号を一部抜粋・再構成したものです。興味を持たれた方は、ぜひこの機会に今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。
『ビジネス知識源プレミアム:1ヶ月ビジネス書5冊を超える情報価値をe-Mailで』(2016年7月20日号)より一部抜粋、再構成
※記事タイトル、本文見出し、太字はマネーボイス編集部による
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