休職4回、退職4回。うつ歴12年のサラリーマンが綴った心の病歴

2015.04.10
by まぐまぐ編集部
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「社会人二年目の異変~何かが狂ってきた」

「とにかく環境を変えよう」

私は社会人二年目になる直前(2001年3月)に、職場の近くに引っ越そうと思い、江戸川区の西葛西で一人暮らしすることにした。とにかく、通勤電車を避けストレスを軽減しようと思ったのである。

しかし。

実際にはそんな期待などいとも簡単に裏切ってくれた。残業時間がより増えたのである。引っ越ししてからというもの、帰りはほとんど終電(午前12時5分)となり、夕食はオフィスで菓子パンを食べる、という生活を余儀なくされたのである。

私は引き続き、3つのプロジェクトを抱えていた。

そのうちの一つの仕事として、社内ユーザーの要件をヒアリングしモデル化する、という内容の仕事があった。私は、その仕事が苦痛で仕方なかった。何故なら、経験したことのない営業部門の仕事をまず把握しなければならず、当時の私としてはかなりハードルの高い仕事だったのだ。

私は、その仕事に全くついていくことが出来ず、会議でも全く発言できなかった。さらには、会議中はおろかデスクでもひたすら貝のように口を閉ざすようになってきたのだ。本来であれば、分からない部分は積極的に先輩や上司に聞くべきであろう。しかし、そもそもどこから質問すればいいのかが分からない。分からないところが分からないのである。

次第に、そのような無能な自分に嫌気がさしてきた。そして、激しい自己嫌悪に陥り、「この世で一番仕事ができないのは自分だ」という確信すら持っていた。その頃は、もう誰とも顔を合わせたくなかったので、お昼ごはんもこっそり一人で食べ、オフィスに出入りする時も出来るだけ人と会わないように裏口のエレベーターを利用していた。

会社と家を往復するだけの毎日。休日は頑張って気晴らしをしようとするが、気晴らしどころか焦りしか残らなかった。日曜の17時ごろになると、すさまじい憂鬱が襲いかかってくる。そして、月曜の朝が来て、5連勤がスタートする。それがもはや生活の全てだと思い込み、「それに従うしか自分の選択肢はない」と考えていたのだ。

しかし一方では、そんな生活を何とか抜けだしたいと痛切に感じていた。その一つの方法として考えていたのは、「海外留学」。当時23歳であった私は「海外留学」すれば人生は変わるはずだ、と思い、そのための資金を必死で貯めるようになった。しかし、その要望を彼女に相談すると、ことごとく却下された。その理由はただ一つ。留学する目的が明確ではなかったのである。私が単に現状から逃げだしたいと思っていることは彼女もお見通しなのである。

不眠のはじまり

引っ越ししてから約一ヶ月経った5月初旬のことである。ある異変が起こった。ゴールデンウィークの最終日に私は一睡も出来なかったのである。寝ようとしても全く睡魔が襲ってこない。逆に、翌日以降の仕事のことを考えると興奮してしまい、ますます目が覚めてしまう。そのうちに外が明るくなり、結局一睡もできないまま朝を迎えることになった。大学受験で苦しんだ以来の不眠症が再発したのである。
しかも、今回の不眠症は完全に一睡もできないのだ。月曜の朝から疲労感満載で出社し、激務をこなしながら、仕事だけの一週間を終える。さらに、その週末の日曜日の夜も眠れない。このゴールデンウィークを境に私は「日曜日の夜は完全徹夜」というのが私の生活スタイルとなってしまった。その結果、慢性的に疲労がとれなくなってしまった。

私はその頃からダラダラと続く人生の下り坂を下っていたようだった。それは目には見えないけれども、確実に私を蝕む下り坂であった。

「日曜不眠」が続く中、私の異変を助長するような出来事が起こった。「彼女」と温泉旅行に出かけたときのことである。
私たちは、砂風呂を入浴することにしたが、そこで私は元来のストイックさを発揮したのであろうか、限界まで砂風呂に入ってしまい、脱水症状を起こし転倒。
さらに、脳しんとうを起こしてしまったのだ。一時的に意識を失っていたようで、すぐに私は救急車に運ばれた。幸いなことに記憶はすぐに回復したが、転倒した前後の短期記憶が吹っ飛んでいたため、東京に戻ってから念のために脳外科病院を回って、精密検査を受けた。
MRIの結果は何の問題もなく、外傷もほとんど治ったので、身体的には何も問題はないだろうと安堵していた。

しかし、そのアクシデント以降、人生の下り坂の傾斜が急に激しくなった。頻繁に胃炎を起こしたり、理由もなく吐き気が私を襲ったり、頭痛がしたりという意味不明の諸症状が起こるようになったのだ。恐らく、身体が悲鳴をあげていたのであろう。しかし、私はそのシグナルに気づいていないフリをして、身体にムチを打って頑張って会社に張り付き、仕事に取り組んでいた。

>>次ページ 手に負えない絶不調

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