部下に早退することだけを告げ自宅へと急ぐ。この事態を予想していたわけではないが、会社から徒歩で5分程のところにマンションを借りていたのですぐに家に着いた。
マンションの間取りは3LDK。娘の麻実は4畳半の和室を使っていた。
私は単身赴任で、普段は娘と岡山で2人暮らしだったがその日はたまたま妻が京都から来てくれていた。
声を掛けるとおぼろに返事をする。手首の傷は、それほど深くはなさそうだった。近所の薬局で消毒液、ガーゼ、包帯を買い応急手当をした。血は止まったようなのでそちらはひとまずいいだろう。
問題は薬だ。何をどれくらいの量を飲んだのかが分からない。瓶がないか部屋を見渡すと怖ろしい物が目に入ってきた。一瞬血の気が引いた。
壁の洋服掛けにかかった白いロープだ。首を吊る用意までしていたのだ。
この状態でも私と妻はなぜか落ち着いていた。いつかこういう日が来ることをうすうす感じていたからだろう。とはいえ突然の行為の理由を考えるが私も妻もわからない。
午後8時過ぎ、娘はまだ眠っている。声を掛けても返事はない。やはり救急車を呼ぶことにした。
何故、それまでほっておいたのか今でもよくわからない。もしかすると、世間体を考えていたのかもしれない。
救急車が到着し、受け入れ先が決まるまで30分ほどかかった。岡山市内でも大きな総合病院だった。妻と一緒に救急車に乗った。娘は少し意識が戻ったようで、うわごとのように何か言っている。しきりに「私、生きてるの」と言ってるように聞こえた。
病院に着くと、手首の傷の処置と胃の洗浄をした。病室に戻ってきたときは点滴を受けた状態で手足を縛られていた。担当医に思い当たるふしがないか聞かれた。私と妻は、これまでの経緯と勝手に想像した理由を話した。のちにこれらは全く違ったことだと知った。
妻とマンションに帰宅したのは午前1時を回っていた。これが長い闘いとの本当のスタートだった。
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『家族に笑顔が戻る日まで ~うつ病の娘を持つ父親の奮闘記~』
心の病と闘う娘を見守る家族の視点から、ありのままの日常を記録という形で公開し、同じ病気で苦しんでいる人や、その家族、恋人、友人など…すべての人にエールを送ります。
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