人生には、いつか必ず「終わり」が来ます。しかし、家族へ残した財産によって不毛な争いをまねくことほど不幸なことはありません。メルマガ『こころをつなぐ、相続のハナシ』の著者で行政書士の山田和美さんは、そんな事態を避けるためには「想いの共有」が不可欠と説明します。
家族の集まる機会に、相続について考えませんか?
2015年もずっと、ざまざまな場面で相続についてお伝えする機会を頂きました。このメールマガジン、自社開催のセミナー、呼んでいただいたセミナーなど。
それ以外にも、書籍の監修協力をさせて頂いたり(「身内が亡くなった後の「手続き」と「お金」がよくわかる本」=監修協力)、週刊誌のFLASHさん(12月15日号)に相続とマイナンバーの専門家としてインタビュー記事を掲載して頂いたり。
そんな中で様々なテーマ、切り口でお伝えしていますが、円満な相続、問題をのこさない相続のために大切なのは、「想いの共有」。これを一貫してお伝えしています。
人が1人ひとり違うように。家族の在り方もそれぞれであるように。想いには様々な形があり、その伝え方もさまざまです。しかし、形はどうあれ、何らかの形で想いを伝える事、想いをのこすこと。これは、円満な相続のために不可欠です。これは正直に言うと、別に法律上の書式に限ったことではないです。
たとえば、何ら遺言書等がなくてももめない相続もたくさんあります。それはきっと、お元気なうちに、言葉で、または言葉以外の方法で、愛情・想いを伝えてきたから。
想いがないところに、その多い少ないに関わらず財産があれば、「より多くもらいたい」「よりいいものがほしい」と思うのは、ある意味で当然です。よほど心に余裕のある人でない限り、例えば目の前に100万円を差し出されて、「隣にいる知らない人と分けなさい」と言われたら、少なくとも「では50万円ずつ」、人によっては、何らかの理由をつけて相手よりたくさん、場合によっては全額を要求するかもしれません。
「何らかの理由」にはいくらでも言いようはあって、
「自分は事業をしていて金がいるから」
「子供の養育費でお金がかかる時期だから」
といった自分が苦しいから、という理由。
「あなたはお金に困っていなさそうだから」
「あなたはズルをした」
といった、相手に原因をもとめる理由など、さまざまです。
ほら、こうなってくると、どこかで聞いた事があるような話じゃないですか。
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