南シナ海支配、認めず。仲裁裁判所の裁定に中国は「半狂乱」状態

 

この声明でもわかるように、中国の南シナ海の支配権についての主張は「2,000年以上前、つまり漢の時代からずっと管理している」というものです。しかし、これについては何の歴史的根拠はありません。

中国はインドやソ連、ベトナムとも陸をめぐる国境・領土紛争を繰り返してきましたが、それもつねに「歴史的に中国のもの」という一点張りの主張ばかりで、これらもほとんど根拠がありません。

そもそも国家主権と領土範囲が規定されるようになったのは、国際法が世界から認知されるようになってからのことです。しかし中国の主張は相変わらず「歴史的に中国のもの」という勝手な歴史解釈であり、しかも「国際法は西洋人が勝手に決めたことであり、中国は絶対に認めない」というものです。

となると結局、中国は「で決着するという道を選ぶしかないということになりますが、問題はそれが世界に通用するのかということです。

漢以後の中華世界は、繰り返し異民族により征服され、漢民族による王朝は何度も消滅しました。その典型が元や清です。宋や明以後、「中国はすでに消えた」という主張すら多く、「中華民国」の名付け親とされる国学大師の章炳麟もその一人でした。

そして中国は漢の時代以後の漢人による王朝のみならず、夷狄の王朝であっても、「海禁」(海の鎖国)を敷いてきました。いったん海に出た者があれば、それは王土皇民を棄てた「棄民」として、中国への再上陸を認めないだけでなく、海へ出た者の村ごと潰すといったことも行ってきました。

現在の中国が版図を継承していると主張する最後の清朝(満洲人王朝)でさえ、その版図は南シナ海までの海には至っていませんでした。

古の南越国の都は現在の広州であり、長江の南の江南の地はそもそも「百越」と称され、ベトナム人のホームランドでした。もしも中国の「2,000年前から南シナ海を管理してきた」という論理が成り立つなら、「江南の地は歴史的にベトナム人が管理してきた」という論理も成り立つはずです。

実際、かつて周恩来総理は、ベトナムの統一後に海南島をベトナムに返還すると約束していました。しかし、結果的に鄧小平によるベトナム懲罰戦争(中越戦争)でその約束は反故にされました。

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