なぜ日本人は米国人に比べて「自己主張」がココまで下手クソなのか?

 

日本人が自己主張を苦手とする理由

そういえば、アメリカでは、小学校の頃からクラスのみんなの前で、週末あったこと等について、簡単なスピーチをさせる。映画やドラマでそんなシーンを見たことあるよ、という方も多いだろう。さらに高校や大学では、本格的なスピーチやディベートを学ぶことになり、授業においても自分ならではの意見を求められる。

近年、日本でも、マイケル・サンデル教授の『ハーバード白熱教室』というNHKのテレビ番組が人気になったので、こちらの大学の授業がどんな雰囲気かだいたいご想像がつくだろう。

簡単に言うと、教授が「何が正解なのか分かりにくい」質問を学生に聞いて、みんな自分がどう思うかを自由に述べる形式。例えば、ブレーキの壊れたトロッコの運転手になったり、殺人事件を裁く陪審員の立場に立たされる。「何が正解なのか分かりにくい」というより、明確な正解がない質問と言ってもいいかもしれない。

実社会には、学校の教科書や授業のように必ずしも1つの正解があることの方が少ない。1つの正解を求めるよりも、みんながそれぞれ自分の意見を述べて、より良い道を一緒に考える方が大切だったりする。だから、こういう授業をやっている。サンデル教授のご専門は、政治哲学だけど、別に他の専門分野、例えばマーケティングの授業でも、だいたい基本的にこんな感じのノリだ。明確な正解がないことは多い。

さらにアメリカでは、自分の意見をちゃんと表現して伝えるか、ということは、学生だけでなく、誰にとっても大切なことと考えられており、社会人向けのパブリック・スピーチやコミュニケーションの学校やセミナーなども多い。

70年以上も前に書かれた古典的名著、『人を動かす』の著者デール・カーネギー(Dale Carnegie)さんも、あの本の出版当時、ニューヨークで20年以上も社会人向けのパブリック・スピーチの学校で先生をされていた方だ。

1937年(昭和12年)に出版されているので、日本の歴史で言うと、盧溝橋事件が起こって日中戦争に突入した年のことである。または、第二次世界大戦の開戦2年前。いわゆる戦前。そんな頃からニューヨークには、社会人向けのパブリック・スピーチの学校があった。

当時の日本に、そんな学校あっただろうか?いや、今だって、ほとんどない。

日本の場合、今でも、自分の意見を表現して伝えるスピーチの授業に熱心に取り組んでいる学校は、少ない。むしろ日本の学校教育では、いろんな場面で、個人差がつかないように、みんなが同じであるように…という考え方が広まっているような気がする。

「自分らしさ」に目を向けるのではなく、

◆運動会の徒競走でみんな手をつないでゴール

◆学芸会の演劇でみんなが主役

◆部活動のサッカーでみんな背番号10番

…など等。

それじゃ「自分らしさ」を知る機会が奪われて、社会に出てから子どもたちが大変だとか、かわいそうという声もあって、一部の私立とかで中高生にスピーチの授業を行う学校も出てきたようだけど、それ以外の一般的な日本の学校では、相変わらずの状況だ。

なんでそうなるか?っていう話題が出ると、「日本人は、自己表現や自己主張が苦手」という理由が昔から挙げられたりするけれど、でも、それって本当にそうだろうか?そういうことではなくて、単純に、日本人はアメリカ人のように、日常生活の中で、自己表現や自己主張をする必要性や機会がないから、慣れてないだけな気がする。

なんと言っても、日本の人口の98%以上は日本人だ。ほぼ100%の人々が、日本語を理解し、日本の文化や価値観を共有している。この環境では、いちいち細かい説明をしなくても、「あ、うん」の呼吸で通じ合えることは多い。

また、細かい質問をしないで賛同する同調ムードは、「空気を読む」と「世間体を考える」などの表現のとおり、大多数の日本人からより良いものと考えられている。だから、自己表現や自己主張をする必要性や機会は日常生活の中に滅多にない。

一方、上述のとおりアメリカは、多種多様の文化や価値観を持つ、異なる民族や人種が集まってできている。

自分とは違う文化や価値観を持つ大切な友人にも誤解がないように何か伝えたいと思ったら、どうやって表現して伝えたらいいのか、みんな自然に事前に「考える」ようになる。「考える」から、表現できるだけであって、格別アメリカ人が優秀ってワケじゃない。

だから、日本で学校教育の内容を変えて、自己表現や自己主張の能力を高めようとしても難しい。なかなかうまく行かない。なぜなら、根底にある日本の環境や、日常生活は変わらないからだ。必要性も機会もないんだから、そりゃ、日本人が自己主張を苦手とするのも仕方がない。それも含めて日本文化ということだ。

そして、日本人なら、必要性や機会があれば、いくらでも上達するだろうから、「自己主張が苦手」なことに対して、必要以上に悲観的にならなくて良いと思う。

ただし、ここで1つ言えることがある。

日本では、自分の意見やアイデアについて、みんなあまり日常的に意識していないのであれば、あえて「考える」ということで、何かを変えるチカラになる可能性がある、ということだ。つまり、人に先んじるチャンス。しかも、かなりお手ごろ。ニューヨークだったら、大人も子どもも、誰だって普通にやってることだ。

なんだかんだ言っても、今はグローバル時代。あえて「考える」ことで、外国の方々に自分の意見や思っていることを、もっとちゃんと伝えられるようになるかもしれない。あるいは、最近、日本で問題になっているメディア報道の内容が、どの程度、正しいかもっと見極められるようになったりするかもしれない。

あえて「考える」ということで、普通の日常生活の中でも、自分を成長させる発見や気づきが増えてくるかもしれない。

「いや、もう毎日忙しくて考える余裕がないよ」という方も、きっとたくさんいらっしゃるだろうけど、でも、今、日本はちょうど1年に数回しかない長期バケーション明け
世の中全体も、いつもよりスロー・ペースな雰囲気になっているのであれば、こういう時こそいろいろと「考える」チャンスではないだろうか?

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