なぜ日本人は米国人に比べて「自己主張」がココまで下手クソなのか?

 

「考える」から感動できる

デール・カーネギーさんの書いた古典的な名著、『人を動かす』(How to Win Friends and Influence People)では、優秀なリーダーはホルモン分泌に一定の特徴があり、みんな「幸せな戦士」(Happy Warrior)の性質を持つ、という発見を報じたハーバード・ビジネス・レビュー最新号の記事がある。

現代科学の進歩によって、人間の脳内物質やホルモン分泌の特徴はすでに明らかにされており、優れたリーダーは、脳内物質やホルモン分泌の段階から、ストレスや不安に強い傾向があるという。

そして、何より重要なのは、その脳内物質やホルモン分泌は、ある程度、人間が意識的にコントロールできるってことだ。

つまり、無理しなくてもストレスや不安に強くなれるよ、というワケ。

そして、その脳内物質やホルモン分泌をコントロールする代表的な3つの方法は、

  1. まず、一番良いのは『運動』
  2. 『日光』を浴びる
  3. 『感動』する

・・・ということ。

『運動』と『日光』を浴びるのは、まぁ、ぶっちゃけ誰にでもできることなので別に良いとして、3つめの『感動』するについて、改めて考えてみて欲しい。

『感動』すると脳が刺激される。『感動』した脳内では、様々なホルモンや脳内物質の分泌量が増えたり、抑制されたりして、人間は安定した精神状態になることが科学的に判明している。

感動的なドラマや映画を見て、涙を流すほど『感動』した後に、なんとなく気持ちがすっきりしたという経験がおありの方も多いだろう。それは気のせいじゃなくて、ホルモンや脳内物質のせいなのだ。

でも、じゃぁ、いったいどうしたら、私たちの日常生活の中で『感動』する機会を増やすことができるのだろうか?そもそも『感動』するには、何が重要か?

一番の特効薬が、たぶん、「考える」ということじゃないかなと思うのだ。そう、「考える」。

同じものや、同じ現象を見ても、事前にその背景や歴史的な意義などについて知っていたり、自分なりの意見を持っている場合と、まったく何も考えてない場合では、受け止め方は、大きく変わってくる。事前に何も知らない場合はなおさら、そこでふと立ち止まって「考える」か、ただ通り過ぎるかで、『感動』する頻度は激変するだろう。

例えば、観光旅行やビジネス出張でニューヨークを訪れた際に、街角をお散歩していて、ふと「歩道が幅広い」ことに気づく。日本と比べると、ニューヨークの歩道はどこもたいてい幅広く、歩きやすい。ここでふと立ち止まって、なんでかな?とか、ってことはどういうこと?と「考える」のと、何も考えずにただ通り過ぎるのでは、大違いだ。

「歩道が幅広い」ので、ベビーカーを押した若いお母さんも、気軽に赤ちゃんとお散歩できる。車椅子の方々だってそうだ。いわゆる社会的弱者の方々の生活の質がずいぶん違ってくる。そうした人々の暮らしぶりにまで思いをめぐらして、考えてみると、それまで見えなかったものも見えてくるだろう。そこには『感動』することも多い。なお、こういうのは、観光地だけしか見てないといまいちピンとこないかもしれない。だから、住宅街を訪れてみるとか、いろいろと工夫は必要だろう。

例えば、こういう例もある。

ニューヨークの住宅街の地下鉄の駅には、エスカレーターやエレベーターが充実していない。あんなに沢山の方々がベビーカーや車椅子で外出してるのに、これでどうやって地下鉄に乗るのか?と言うと、みんなで助け合うのだ。

つまり、例えば、ベビーカーを押して、住宅街の地下鉄の駅の階段前までやってくると、まず100%の確率で、通りすがりの人々が「お助けしましょうか?」と声をかけてくれる。大きな荷物を持った女性や高齢者にも「お助けしましょうか?」と、誰かが必ずやってくる。いろんな文化や慣習を持つ人々の集まった街なので、みんながみんなそうじゃないけれど、「レディ・ファースト」という考え方は、文化の違いを超えて、結構、定着していて、エレベーターに乗り降りする際なども、女性に「お先にどうぞ」という男性は多い。

こういう社会環境なので、地下鉄の階段前とかでも、普通に、自然に助け合いの風景を目にする、というワケだ。「レディ・ファースト」や助け合い精神といったものについても、「考える」ことで初めて気づけるだろう。そして、そこから何かを感じ取ることもできる。そう、「考える」から感動できるのだ。

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