NY在住の日本人社長が、一生慣れないと断言する日本人の嫌な習慣

 

で真面目な話—。 ここからが本題。 いちばん言いたかったことです。

結局、海外生活が長くなり、日本に、自分の母国にいちばん違和感を持つようになったのは「そこ」かもしれません。

「ホストに内面を求めるメンタリティ」。 もっと言うなら、「そんな自分」を声高にアピールするメンタル。実は「クーポン」でも、「同じ髪型のホスト軍団」でも、ない。それらは「習慣」と「文化」です。

2~3日も東京に滞在すれば、また慣れる。でも、やっぱり、一生慣れないかもしれないのは、日本独特の「どんな状況でも、ドラマチックなところに落とし込もうとする」ところ、かもしれません。

ホストにまで「人間性」を求める。 いや、ホントは求めてない。 求めている自分を確認する。 そして差別化を測る

誤解なきよう、決してホストの方々に人間性がないなんて言ってるわけではなくて、みなさんとてもいい人だと思います。でも、イケメンとおいしいお酒を飲む、というビジネスモデルに、人間性や、内面を強引に入れ込む習慣は、やっぱり世界的に見ても稀だと思います。

ドラマチックなセリフを日常生活でよく聞くのは日本です。 中身はともかくとして。

「アメリカかぶれ」と思われるのが極端に嫌いな僕が、「アメリカ」に住んで良かったと心の底から思うのは、グーがチョキに勝って、チョキはパーに勝って、グーはパーに負けるという単純なルールがちゃんと成立してるからです。

国民全体がインテリのパーセンテージの高い日本は、そんな不文律も複雑にしがちです。

高校野球でも勝ったチームより、負けたチームにスポットライトが当たることがある。

ひきこもりのコに対して、親が、学校が、社会が、ひいては国にまで責任が及ぶ。

ひきこもりならまだしも、犯罪者に対しての責任まで、複雑に討論して、ヘタすると加害者を被害者にまでする「理屈」が生まれる。

もし、グーを出して、パーに負けたら、負けだ。 それ以上の理屈はない。だから、次は勝てるように努力する。

でも、「どうして彼はグーを出したのでしょう。 核家族化の社会現象が、彼にグーを出さざるを得ない性格にしてしまったということは考えられないでしょうか、、、」と、したり顔で評論する。

深すぎるぜ(笑)

グーを出して、負けた張本人まで、「勝負には負けたかもしれない、、、でも、僕は握った拳をほどくことは、どうしても性格上出来なかった。 それで負けたら、それはそれで仕方ないと、天国のお母さんも笑ってくれるだろうから」と涙目で語る。

カッコよすぎるぜ(笑)

でも、僕は知ってる。 もし先方がパーを出すと知ってたなら、間違いなくチョキを出してたことを(笑) 握った拳を簡単に開いたことを。

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