99%の失敗が生んだ成功。本田宗一郎「世界のホンダ」半生記

 

スーパーカブの大ヒット

本田の関心はもっぱらスピードと馬力のあるエンジンだったが、藤沢の方は市場を見ていた。折から電気洗濯機、掃除機、冷蔵庫が「三種の神器」として普及し、主婦が消費の主導権を握る時代になっていた。エンジンむき出しのごつごつとしたオートバイでなく、50ccで女性も乗れる家電感覚のオートバイを作ってくれ、と本田に頼んだ。大衆向け商品の大量生産・大量販売を狙ったのである。

本田は「そんな…。50ccで乗れる車なんか作れるものか」と答える。藤沢は「これができなきゃ、本田技研は将来、そう発展しない」と吹き込む。外国にもそんなオートバイはない、と本田が言うと「ないからつくってくれというんだ」。

藤沢の挑発に本田の持ち前の技術者魂が頭をもたげた。着手してから1年8ヶ月という長い開発期間をかけて昭和33年に完成したのがスーパーカブだった。日本中のオートバイ販売台数が月4万台という時代に、藤沢は月3万台を売ってようやくトントンという低価格をつけた。ポリエチレンを使って曲面を押し出したスマートなデザインと相俟って、スーパーカブは大ヒットした。藤沢が発案し、本田がものつくりの才能を傾注した傑作スーパーカブ」は、その後も大きなモデルチェンジをすることもなく、58年目の平成27年には累計生産台数9,000万台を達成した。

アメリカこそホンダの夢を実現できる主戦場

昭和34(1959)年には米国に販売会社「アメリカン・ホンダ」を設立。スーパーカブの米国輸出を目指した。支配人として渡米した川島喜八郎は当初、米国は自動車の国で、オートバイは革ジャンを着た暴れ者の乗り物というイメージを持たれ、年間6万台くらいしか売れていないことから、「アメリカよりも東南アジアの方が手がけやすいのではないか」と提案していた。

だが藤沢の考えは違った。アメリカこそホンダの夢を実現できる主戦場だと考えたのである。

資本主義の牙城、世界経済の中心であるアメリカで成功すれば、これは世界に広がる。逆にアメリカで成功しないような商品では国際商品になりえない。やっぱりアメリカをやろう。

スーパーカブはアメリカでも人気商品となった。女性が乗ってもスカートがめくれにくいデザインは、従来の暴走族イメージを変えた。250ドルという価格は、大学生がアルバイトで買える値段で、キャンパスへの移動手段として注目されはじめた。グラフ誌「ライフ」に広告をうって、おしゃれで経済的な大衆商品であることをアピールした。

昭和53年にはオハイオ州に工場を建設し、日本メーカーとして現地生産の一番乗りを果たす。その後、四輪車の現地生産も成功させ、日米貿易摩擦が激化した時も、「ホンダはアメリカ経済に貢献している」と評価された。

現在、ホンダのバイクは日本では2割弱しか作っていない。藤沢の「アメリカで成功すれば世界に広がる」という考えは正しかったのである。

99%の失敗

こうして本田と藤沢の夢は見事に実現したのだが、それは決して平坦な道ではなかった。退陣のあいさつで本田はこう言った。

思えば、随分苦労も失敗もあった。勝手なことを言ってみんなを困らせたことも多かったと思う。しかし、大事なのは、新しい大きな仕事の成功のカゲには、研究と努力の過程に99%の失敗が積み重ねられていることだ。これが分かってくれたからこそ、みんな、がんばりあってここまできてくれたのだと思う。…

社是の冒頭にある「世界的視野」とは、よその模倣をしないこと、ウソやごまかしのない気宇の壮大さを意味する。

独創性を尊重し、取引き先、お客様、地域など、直接間接にかかわり合う社会全体を大切にする体質は、理解ある社外の人達の支えがあり、みんなの努力が実って定着した。…

これからも大きな夢を持ち、若い力を存分に発揮し、協力し合い、今より以上に明るく、そして働きがいのある会社、さらに世界的に評価され、社会に酬いることのできる会社に育て上げてほしい。

明日のすばらしいホンダをつくるのは君たちだ。

ホンダを日本と読み替えれば我々現代の日本人全体が味わうべきメッセージであろう。

文責:伊勢雅臣

 

Japan on the Globe-国際派日本人養成講座
著者/伊勢雅臣
購読者数4万3,000人、創刊18年のメールマガジン『Japan On the Globe 国際派日本人養成講座』発行者。国際社会で日本を背負って活躍できる人材の育成を目指す。
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