先週、この古代史探求レポートでは、稲や米の呼び方に付いてお話をさせていただきました。今週は、もう一歩進んで、古代の人々はその米をどうやって食べていたのかということを探ってみたいと思います。
どうやって?と言っても、米は炊いていたのではないのかと思われるかもしれませんが、そうではないのです。現在のようなお米の炊き方を「炊干し法」と言いますが、このご飯の炊き方は、江戸時代に始まったとされています。「炊干し」とは、字のごとく水分がなくなるまで炊いて、それをふかすのです。
江戸時代以前はというと、コメの収穫量が少なく、なかなか米だけをそのまま食べるということができませんでした。このため、今のようにあらかじめ適切な水の量を計り、ご飯を炊くということが上手くできなかったのです。
では皆さんは、「炊く」と「煮る」の違いは何かご存知でしょうか。炊くというのは、強い火力を使って沸騰させることを言い、煮るは弱い火で時間をかけて加熱することを言います。
「始めチョロチョロ、中パッパ。赤子泣いても蓋取るな」というご飯の炊き方を教わった方も多いと思います。始め弱火にするのは、釜全体を暖めるためでした。その後、強火にして沸騰させますが、大きな重い蓋を釜の上に乗せて、吹きこぼれないようにして圧力をかけてやります。これが、窯の中で米が踊る要因です。日本の炊飯器はこの炊き方を取り入れているのです。赤子泣いても蓋取るなというのは、蒸すという工程が最後についているからです。
竃(かまど)は強火で米を炊くところ。炉は弱火で煮物を作るところと分けられていた家も多かったようです。特に東日本では、竃と炉を分けて作っていたようです。西日本では煮炊きを一緒にしていたのではないでしょうか。煮物であっても、「炊いた物」という言い方をしたと記憶しています。
江戸時代より前は、どんな方法で米を炊いていたのでしょうか。