失敗したソニー、成功した日産。明暗分かれた外国人社長の功罪

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大胆なコストカットや日本人にはない発想力―。日産のゴーン元社長らの成功例を見て、外国人を社長に迎える日本企業が増えています。しかし、必ずしもそれが奏効するとは限らず、ソニーや日本板硝子など失敗の憂き目を見た企業も存在します。その違いはどこにあるのでしょうか。無料メルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』の著者・嶌さんは、「日本独自の文化や習慣に馴染めるか」という面もひとつの大きなポイントになると分析しています。

外国人経営者の功罪

日産自動車のゴーン氏が社長を退任した。そこで、本日は外国人経営者の功罪をテーマに過去の事象もひも解きながらお話をしたい。

褒章を受章した稀有な外国人社長

ゴーン氏は1999年から18年にわたり日産を率い、経営難からの再建を果たしてきた日本企業の外国人社長としても代表的な存在である。社長就任からわずか4ヶ月で「日産リバイバル・プラン」を発表し、国内の工場閉鎖や大量のリストラに加え、既存取引の絞り込みなどを実施したことで「コストカッター」ともよばれた。この施策による既存の調達先各社への影響は大きく、NKK(日本鋼管)と川崎製鉄が経営統合に迫られるなど、ここから「ゴーン・ショック」という言葉も生まれた。

それらの施策により90年代後半に倒産の危機だった日産を復活させ、カリスマ経営者として日本で外国人初となる「藍綬褒章(らんじゅほうしょう)」を受章している。

ソニーでは大失敗に…

今回、社長を退任したが、ホールディングカンパニーのトップとして会社を束ねてゆくという。ゴーン氏の影響を受け、外国人経営者で有名になったのはソニーのストリンガー氏だが、こちらは結果的に大失敗だったといわざるを得ない…このことから必ずしも外国人経営者が成功するとはいえないことがわかる。

ソニーは人まねをせず、独創的な製品を創出し続けてきた企業。創業者の井深大氏と盛田昭夫氏が「トランジスタラジオ」「テープレコーダー」を開発。その後、世界初の携帯音楽プレーヤー「ウォークマン」の発売により世界に名を馳せた。

ソニーの取締役会が外国人経営者を選んだ理由は、日産のゴーン氏の成果を受け「日本人には日本の組織は改革できない」と考えたからだったが、これが失敗の始まりであった。ストリンガー氏は元々アメリカのテレビ局で成果を上げた後ソニーにリクルートされ、社長に抜擢された。就任後、「サイロ(タコツボ)」を壊すため18万人の社員の1割を減らすと同時に、製品モデル数を2005年度比で20%削減。

目指すのは「2つか3つの製品だけに注力する」と改革を意気込むが、モノづくりの知識がなかったストリンガー氏は適切な投資や取捨選択ができず、コストカットに注力した。しかしながら、その影響により10年も経たないうちにソニーの競争力は喪失した。

「モノづくり」からの撤退で苦境に…

ストリンガー氏はソニーの競争力を喪失させただけでなく、経営において以下の弊害を生じさせた。

  • 韓国サムスンに協力として無償で技術を渡し「ソニーは韓国のスパイ企業」と他のメーカーから揶揄される。
  • 当時CEOでありながら、アメリカに住みつづけ日本に長期間滞在した事すら無い。
  • 15人の取締役のうち13人を社外取締役に変更。取締役にストリンガー氏を信じる人のみを任命することで、ストリンガー氏がCEOに指名され続けるよう画策した。

結局「モノづくり」から撤退したソニーは、その後ヒット製品を生み出すことができず、ストリンガー時代の株式時価総額は123位から477位にまで転落した。

かつて、番組でもストリンガー氏が就任する際この番組でも、コストカットで名を馳せてきたことから日本でもリストラの嵐が始まるのではと話したことは記憶に新しく、まさにその通りになってしまった。テレビに関する知識はあったのかもしれないが、モノづくりのことは全く知らなかったというのがポイントだった。

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