日本の言語・習慣・文化に馴染めず…
もうひとつの失敗した事例をあげると、日本板硝子では言語と企業の習慣、文化などの問題が生じたことにより立て続けに外国人経営者が辞任している。日本板硝子は2006年に売上規模が自社の2倍のイギリスガラス大手のピルキントンを買収・子会社し、当時「小が大を呑む」と騒がれたことは記憶に新しい。
その買収を機にこれからは国際化時代と舵を切り、ピルキントン出身のスチュアート・チェンバース氏が2008年6月に社長に就任した。チェンバース氏は「郷に入れば郷に従え」と日本的な経営を努めたが「仕事よりイギリスにいる子供たちとの時間を優先したい」という理由から1年余りでトップの座を放棄。「日本の古典的サラリーマンは会社第一で、家族は二の次だが、私にはそれはできなかった」と日本特有の企業風土に馴染めなかったことを明かし2009年9月末に退任した。
その後、米化学大手デュポンの副社長を務めた経歴が買われ、外部からネイラー氏を召聘した。しかしながら、経営戦略の違いによりわずか1年10ヵ月で交代。外国人経営者を招き始めた戦略は3年持たなかった。立て続けに失敗した傷は大きく、どういう人を招いたらいいかということを熟慮しないといけないことを思い知らしめた。
稀有な成功事例も
失敗事例の紹介が続いたが、成功している面白い事例も紹介したい。それは、東京都港区に本社を置く小西美術工藝社。この会社は国宝や重要文化財の修復を7~8割を手掛けている。創業は江戸時代寛永年間、法人を設立したのは1957年で300年以上の歴史を持つ老舗で、イギリス出身のアトキンソン氏が現在社長を務めている。アトキンソン氏の経歴はすごく、コンサルタント会社勤務を経て、証券会社を転々とした後にゴールドマン・サックスで共同経営者にまで登りつめた人物。
アトキンソン氏は1999年に茶道の裏千家に入門し、2006年に茶名「宗真(そうしん)」を拝受されるほど日本の伝統文化に親しんでいる。茶名は、茶道を極めないともらえない称号で、その上は師範という位。2007年、42歳の時ゴールドマン・サックスを「日本文化に触れたい」と突然退社し、その直後に日本の伝統文化の更なる精通を目指し京都に町屋を購入。心底、日本文化に惚れ込んだ方だ。その町屋で茶道に没頭する生活を送っていた。
そんな中、偶然、小西美術工藝社の先代社長が軽井沢に所有していた別荘の隣におり、その方から経営を見てほしいと頼まれた。その依頼を受け、2011年に小西美術工藝社の社長に就任した。
アトキンソン氏は経理も在庫管理も丼勘定で、職人の4割が非正規雇用という会社の内情を知り驚いた。当初は「国の体制のもとで続いている老舗なので、経営的な問題はないと思っていたが、経営は安定的なものではなかった」と後に語っている。そこから改革を進め、非正規雇用だった職人を全員正社員として給料を保証し、技術継承のために若い職人を増加させるとともに、さらなる設備投資を実施した。職人の仕事の質と生産性が高まった結果、5年間の利益平均がその前の5年間より80%以上も伸長することができた。このように成功した例が実際にあるのだ。