ちなみに民主主義は日本には古くから存在します。再び竹田恒泰氏の言葉を引けば、
「日本の民主主義は明治憲法からすでに始まっている」
とのこと。
私は、さらに作家・井沢元彦氏が、今月の月刊正論で、聖徳太子の「十七条の憲法」の十七条で「話しあい」の大切さを説いていることを指摘していますが、これに日本型の民主主義の原型を見つけます。
トランプ大統領が決定したとき、暴徒化したのはヒラリー支持派です。トランプも実際には「右」ではないとはいえ、左右の対立構造で配置したときの「左」はヒラリー・民主党陣営です。
対して「反オバマ=人種差別主義者」という構図も作られた、かつてのオバマフィーバーの選挙結果に対して、「ティーパーティー」などの草の根保守や右翼は、ただひたすらにうなだれただけでした。
個人レベルでのいざこざはともかく、芸能人が芸能の場を私物化してまで選挙結果に異議を唱えることはありませんでした。
レディ・ガガにせよ、これらの米国国民は、民主主義の結果を否定したのです。すなわち「非民主主義派」ということ。
そして今回のフランス大統領選挙でも、デモが暴徒化した事案が発生。暴徒化したのは「急進左派」です。極右政党の支持者ではありません。
右と左と、カウンターパートが存在するかのように、理解しようとするアプローチは、そもそも「民主主義」という同じ土俵に立っている前提だから成立するのであり、そもそも論で民主主義を否定している左派との間に議論が成り立つわけがないのです。