「我々掃海隊員に課せられた責務」
終戦直後に、占領軍は帝国陸海軍を解体させたが、機雷除去は海軍の掃海部隊しかできないため、この部隊だけはそのまま残し、すべての機雷の速やかな除去を命じた。
戦時中から機雷除去にあたっていた掃海部隊はそのまま危険な除去作業を続けることになった。ただ、終戦後はB29爆撃機が新たな機雷を落とさなくなった、というだけの違いであった。
徳山での掃海作業の指揮官は、終戦時に次のような訓示をしている。
諸子はこれまで危険な機雷の掃海作業に日夜辛酸をなめたのであるが、終戦を迎えた今日この時から、さらに本格的な掃海隊員としての仕事が始まることを覚悟しなければならない。それが我々掃海隊員に課せられた責務であり、国家同胞に報いる所以である。
(同上)
こうして戦後の掃海作業が始まった。装備は、海防艦約20隻、徴用漁船その他約300隻余、そして人員は1万名余りであった。
機雷除去作業
一口に機雷といっても、様々な種類がある。形態として海底に沈んだ重しからワイヤーで結ばれて海中に浮かんでいる「係維機雷」と、海底に沈んでいる「沈底式機雷」がある。
「係緯機雷」は、2隻の掃海艇が平行して走りながら、掃海索(ワイヤー)を曳航して、それによって機雷と重しとの間のワイヤーを切断し、浮き上がった機雷を銃撃して爆発させる。
このタイプは、帝国海軍が防衛のために自ら敷設したものが主で、敷設した場所も分かっているだろうし、処理も単純なので、約1年で除去完了となっている。厄介なのは、主に米軍がばらまいた「沈底式」である。
沈底式には、艦船の発する磁気に感応するタイプが3種類、音響に感応するタイプ2種類、加えて磁気と水圧の変化の複合型と7種類もあった。
磁気に感応するタイプに対しては、自身では磁気を発生させない木造の掃海艇2隻が掃海電線を曳航し、それに電流を流して磁気を発生させて爆発させる。
さらに、感応9回目ではじめて爆発するような設定になっていたりする。すると、1,000メートルの航路を掃海するためには、100メートルずつの幅に分け、各幅を9回、合計90回の曳航を繰り返す。
しかもレーダーがない当時は、2分ごとに自分の目で3角測量という方法で測定するしかない。測量を間違えれば、掃海していない空白部分ができ、そこに機雷があれば、大事故につながるのである。