「反日・親中」で知られた米政界の大物が死去。日本への影響は?

 

ブレジンスキーさんの前半生

ブレジンスキーさんは1928年、ポーランドの首都ワルシャワで生まれました。名門貴族の家系です。お父さんのタデウシュさんは、外交官。1931年~35年、お父さんは、ドイツに赴任しました。もちろん、子ブレジンスキーさんも一緒です。ちょうど、ヒトラーが政権についた時期と重なっていた。要するに、幼かった(ドイツ時代3歳~7歳)ブレジンスキーさんは、「ヒトラーとナチスの台頭」を目撃することになったのです。少しは記憶に残っていたのでしょうか?

タデウシュさん、次の赴任先は、スターリンのソ連でした。赴任した頃、ソ連はスターリンによる大粛清の真っ最中。なんか、お父さんも子ブレジンスキーさんも大変です。

次の赴任先は、カナダでした(1938年)。翌年、ブレジンスキー一家を、大きな不幸が襲います。そう、ヒトラーが1939年、ポーランドに侵攻した。それで、ブレジンスキー一家は祖国に帰れなくなってしまった

1945年、第2次世界大戦は終わりました。しかし、ポーランドは、「共産国家」になってしまい、帰ることができない。ブレジンスキーさんは、こんな背景もあり、かなり反共でした。そして、多くのポーランド人同様、反ロシアです。

ブレジンスキーさんはカナダで育ちましたが、後ハーバード大学院に進みます。卒業後は、まずハーバード大学で教鞭をとり、後にコロンビア大学に移った。コロンビア大学教授として、彼の専門は、共産圏の政治・外交研究でした。

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