「ママの味」は焼け跡から生まれた。不二家ミルキー誕生秘話

 

どこか懐かしい食べ物を愛情込めて紹介する無料メルマガ『郷愁の食物誌』。今回は、不二家の看板商品で「ママの味」のキャッチコピーでおなじみの「ミルキー」です。戦後の激動の中、2年もの歳月をかけて生み出されたというミルキーの歴史を、メルマガ著者のUNCLE TELLさんが紹介しています。

不二家のミルキー誕生秘話

さて、ペコちゃん、ポコちゃん、ミルキーの不二家である。この会社のカラー、森永や明治とはちょっと変わっている。違った路線を行っていると言っていいか。

創業は明治だから歴史は古い。創業は1910年(明治43年)、創業者の若い藤井林右衛門(25歳)が、横浜・元町に洋菓子店を開いたのが始まりである。

2年後、当主はアメリカへ洋菓子事情と技術習得のため出かけているので、大いに先取の気概を持った人物だったらしい。2年後、帰国した彼は洋菓子店の隣りに喫茶店を新設し、「ソーダ・ファウンテン」と名付けるなどその気鋭躍如たるところがある。店舗も増やし、1922年(大正11年)には、ショートケーキ、シュークリームなど発売し好評を得ている。

1923年(大正12年)、東京銀座へ進出するも、同じ年の関東大震災で横浜の2店舗とともに焼失するが、めげずに翌年バラックを建てて営業を再開。1930年(昭和5年)、工場を併設した新宿店を開店、菓子メーカーとしてスタート。翌年には銀座に工場、大阪、京都にも店を開いているので、事業は順調に展開したのだろう。1934年(昭和9年)には、三色旗が印象的なフランスキャラメルを発売している。

不二家のアイドル、ペコちゃんが誕生するのは戦後の1950年(昭和25年)。年齢6歳の女の子。翌年にはボーイフレンドのポコちゃんも登場。そしてこの年、1951年(昭和26年)、記念すべきペコちゃんとポコちゃんの絵柄のミルキーが発売された。それは、従来のキャラメルというイメージからはだいぶ違っていた。

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