パクチーで世界を変える。パクチーを愛しすぎた男の起業論

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周囲から「ありえない」などと言われつつもパクチー料理専門店をオープンさせ、結果的に今日のパクチーブームの牽引役となった『佐谷恭の「パクチー起業論」~パクチー麺プレゼント付き~』の著者で日本パクチー狂会会長の佐谷さん。メルマガでは、狂会10年の歩みとこれからの10年について語っています。キーワードは「旅と平和」。深いです。

10年そして10年

1995年8月9日 カンボジアにて格差はツマラナイと感じる(旅と平和、発想の原点)
2005年8月9日 日本パクチー狂会を立ち上げ(パクチー=paxi 活動開始)
2015年8月9日 「PAX割」という表現で旅と平和への意識を高める活動を開始

パクチーの日を制定してから、ちょうど10年が過ぎました。巷ではパクチーブーム。パクチー料理専門店がたくさんできて、パクチーを使うレストランや居酒屋は数えきれないほどになり、新聞の一面広告でパクチー関連商品が載るような時代に。「まさか」の変化です。

どんなにくだらない、些細な、ニッチなことも、継続するといいことあるんだなぁと、時代の流れをありがたく思っています。ブームはやがて去るでしょうが、本質的な価値を創りたいと思います。

先日、武雄~長崎のピースウォークに参加し、85kmの道のりを参加した仲間と歩きつつ、独自の寄り道もして89.89km歩きました。それを終えて長崎空港から「パクチーの日 10周年」のパーティのために東京へ戻りました。その途中、パクチーで10年ってなかなか面白い人生になってきたなぁと思いつつ、あることに思い至りました。さらにさかのぼること10年、つまり今から20年前に、僕は初めて訪れたカンボジアで、格差はツマラナイと思うに至りました。今僕がやっている「旅と平和」の原点が20年前のカンボジアで生まれたのです。10年ごとに大きな変化があったと、振り返ることで気づきました。

パクチーの日制定10年前にカンボジアで旅と平和の原点があった。ちなみに、パクチーを食べた確実な記憶の一番古いものはカンボジアでした。

学生が少しバイトすれば1~2カ月旅できる幸せな環境。 僕たちはそんな時代を生きています。僕はその恩恵にあずかって大学4年間のうち、合計すると約1年海外をふらついていました。初めて東南アジアを訪れたのが1995年の夏。

ボッたくられないように頑張って警戒心満載で旅していましたが、何人か知り合った人が「ともだち」とか「フレンド」とか呼んでくれるようになりました。食事をしたり、出かけたり、楽しかったのですが、心から打ち解けた感じではありませんでした。その理由は彼らと僕が対等な関係でないから。少しバイトしてふらふらできる恵まれた環境にいる人と、旅することはおろか仕事や住む場所も選ぶのが困難な人たち。僕がここに戻ってくればその人たちはたぶんそこにいるけど、彼らが僕の家に遊びに来てくれることは、ありえそうにないということの寂しさ。

その後も自分の立場を大いに利用し旅を続けています。カンボジアで感じたやるせない思いをずっと抱きながら。そして、いろいろ旅をして、国家を代表する人や大きな利害調整をする人よりも、自由に動いて独自に人間関係を築く旅人こそが、世界を楽しい場所にする大切な要素なのではないかと思い、確信するに至りました。ちなみに「旅と平和」というフレーズができたのは3度目のユーラシア大陸横断をしていた2002年夏でした。

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