もう数十年前になりますが、白足袋族の存在力を見せつけられた出来事がありました。1985年、当時の今川京都市長は古都税を創設しました。目的は寺社などの古都遺産を守るためです。京都市内の寺社へ支払う拝観料に対して課税するというものでした。例えばは拝観料が500円だったら、固都税の50円を上乗せして550円にするというものです。支払われた50円の税金部分は市に納められるというシステムです。
これに当時24の寺社が反対しました。そしてなんと拝観中止に踏み切ると宣言したのです。それでも古都税の実施が決まってしまったので、一部の寺社は実際に拝観停止を実行することになりました。門前に店を構える人達も、拝観中止を決めた寺院と共に苦難に立ち向かいました。清水寺の門前に並ぶ五条坂辺りも一時閑散になったといいます。京都仏教会も反対にまわり、当時会長を務めていた天皇陛下の叔父・東伏見会長も立ち上がりました。そしてついに、京都仏教会は京都市を相手取り訴訟を起こします。訴訟は少し時間がかかりましたが、1988年3月、京都市はついにこの反対に屈し古都税を廃止しました。京都仏教会の反対により京都を訪れる観光客はそれ以大人50円、子供30円の古都税を払わなくてもよくなりました。
こうした白足袋族の団結力やネットワークは、1,000年どころか2,000年以上続いています。都を京都の平安京に移した桓武天皇は、政治的影響力が強かった仏教勢力から離れた場所で政治がしたかったようです。平安時代、白河上皇は「賀茂川の水、双六の賽(さい)、山法師」を京の三不如意だと言っていたそうです。白河上皇は当時皇位を後継者に譲り上皇として院政という体制のなかで政治を行っていた絶対的権力者でした。その彼をもってしても、山法師(延暦寺の僧侶)を自分の思いのままにならないものの一つに挙げているぐらいです。1,000年以上も前から白足袋族は京都の影の権力者として存在していたことがよく分かるエピソードです。京都に住む人達はそのことに重々承知して暮らしてきたことでしょう。
ちなみに現在の門川大作京都市長はいつも和服を着ています。もしかしたら白足袋族に親近感を感じてもらうためにもそのような装いをしているのかも知れません。
いかがでしたか? 京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。
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