有名人の行動にいちいち激怒。ネットで正義の味方を気取る人々

 

さて本題に戻るとして、正論ぶった言説で他人の恣意性の権利をバッシングして留飲を下げている人は、もちろんバカである。何一つ生産的な意見を言う能力がないにもかかわらず、何か発言して己の存在を誇示したいというのは、考えてみれば気の毒ではあるけれど、バカであることに変わりはない。といったことを公言すると、冒頭に記したように「バカとはなんだ。失礼じゃないか。謝れ」といって恫喝する人が時々いるが、そういって恫喝すればたいがいの人はひるむに違いないと信じているところがやはりバカなのだ。

かつて、差別問題について、柴谷篤弘、田中克彦、竹田青嗣、私の4人で、『差別ということば』(明石書店)と題する本を作ったことがある。しばらくして、私に「あなたの執筆部分には差別を拡大・再生産する点が多々あるので、釈明をして下さい」といった旨の手紙が届いて、「この文書があなたに到達した日の翌日から起算して50日以内に何らご回答がない場合においては、この抗議内容をあなたがお認めになり、考えを変更されたものとして公表することがありますので、念のため申し添えておきます」という文言で結ばれていた。

この人は似たような文言の手紙を、会社や公的機関に出して謝罪の言葉を引き出し、我こそは正義の味方だという自己陶酔に酔ったことがあったのだろう。それで私もペコペコすると思ったのかもしれないね。後日私がこの話を取り上げて、この人をバカにするエッセイを書くとは思いもよらなかったのだろう(『思考するクワガタ』第2章収録 新潮社)。もちろんこの人が私に手紙をよこして、私を非難したり、差別主義者呼ばわりしたりするのは、この人の自由であるが、当然のことながら、私には返事をする義務はないし、まして返事をしなかったら抗議内容を認めたことにする、といった恫喝が私に通じるわけがない。ここまでくると馬鹿を通り越して哀れである。正義(世間の風)という錦の御旗を振りかざし、他人の恣意性の権利をコントロールしたり、バッシングしたりする人はすべてどうしようもないというほかはない。

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