さて、海老蔵のディズニーランド行きには後日談がある。「愛する人が亡くなって数日後にディズニーに子供達と行って不謹慎だと言われる。残された者が笑顔でニコニコしていることが先に逝った人への最高の供養だと高齢の住職から教わりました。ご参考までに」とツイートがあって、共感の声が寄せられているという。まあそういう意見を言ったり、それに共感したりするのは自由であるが、バッシングするにせよ、称賛するにせよ、一部の人はどうして他人のプライベートな行動に、いちいち意見を言いたがるのだろうね。どうでもいいじゃねえか。他にすることがないのかしら。
こういう全く生産性のない言説があふれているのは、重要な議論を隠すための陰謀じゃないかとさえ思えてくる。あるいは、不倫などの世間一般の道徳や常識に逆らう行動を非難する言説、人々の安全や健康を守るためと称する言説、に対して文句を言う人は、この日本ではほとんどいないので、「正義の味方」願望が満たされて、言っている本人たちは良いことをしている気分に浸っていられるからかもしれない。そう思って電車やバスに乗ると、あなたの安全のためにという名目のもとで、凄まじくパターナリスティックな放送が次から次に聞こえてくる。(つづく)
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