ネットが一般化した今、私たちの日常には情報が洪水のようにあふれています。そして昨今、こうした数多ある情報の中から質が高く精度の良い情報をいかに入手するかということばかりが注目されがちですが、本当にそれだけで良いのでしょうか? 今回の無料メルマガ『人間をとことん考える(人間論)』では、著者で現役の薬剤師でもある小原一将さんが、情報の聞き方や受け手の資質について持論を展開しています。
どんな話を聞くかよりもどのような状態で聞くかが重要
常に成長していこうと思っている向上心が高い人は、ためになる話を聞きたいという欲求があるだろう。かくいう私もそうである。他人の話の全てに耳を傾けて、自分にとって役に立つものがあるかどうかを必死に探すようにしている。
インターネットというツールが一般化されて情報があふれている時代だからこそ、どのような情報を自身に取り込むかを皆が必死に考えている。
しかしここで一つ重要なことを考えてもらいたい。良い情報に多く触れる必要があることは間違いないのだが、その情報を受ける対象、つまり自分自身がそれよりも重要であると私は思う。
例えば、ホリエモンが以前に寿司職人として何年も修行するのはムダだといった内容の発言をしたことが話題になった。この発言は生粋の寿司職人や専門職としてこだわりがある人にとっては、職人を軽視していると捉える可能性が高い。
一方、専門職ではない一般の人や職人の弟子として不遇な思いをしている人としては励ましになる言葉とも言える。私は寿司職人の世界は分からないが、どの業界にもムダに思えるようなことがたくさんあるので、そのような思いを持つ人には共感されるだろう。
つまり受け手によって情報とは全く違ったように捉えることができるのだ。このような理由で私は、どのような情報であるかよりも、どのように情報を受け取る姿勢や状況でいるかの方が重要であるような気がしている。
情報への接点が多すぎて、情報の質や精度ばかりが注目されがちである。だが、情報の受け手である我々の質が低ければ、どれだけ良い情報に接したとしてもその情報を活かしきれない。
個人的な印象なのだが、話し方と聞き方であれば絶対に聞き方を向上させる方が難しいと思っている。なぜかというと、話し方は本を読んだりセミナーを受けたりすれば一定以上のレベルには到達するが、聞き方に関しては相手と向き合って経験値を積むしか方法がないように思うからである。
つまり発信より受信の方が難しいのではないだろうか。ブログやSNSなどでだれでも気軽に情報を発信できるようになった。これはすばらしいことである。ただ、情報を受け取るのはもちろん発信している私たちであり、発信者でもあり受信者でもあることをもっと考える必要があるように感じる。
情報を活かすも殺すも自分次第で、情報をうまく受け取るためには自己と向き合い、そして様々なことを考え抜く時間と精神力が必要だろう。
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