鼻と花が同じ音なのは偶然? 語源をたどって見えた「大和言葉」

 

「恋ふ」「思ふ」「悲し」

「恋い」とは「魂乞(たまご)い」であり恋人の魂を乞うことだ、というのが、国文学者で歌人であった折口信夫の説である。「恋い」と「乞い」は、古代の発音は多少異なっているが、だからこそわずかな意味の違いを持つ仲間語だとも言える。

「乞ふ」とは離ればなれとなっている恋人同士が、互いの魂を呼び合うことだった。魂の結合こそが、恋の成就だったが、それがなかなか実現しない切なさ、それこそが「こひ」だった。

そう考えれば、「わが恋止(や)まめ」とは、「あなたの魂を乞う思いが、ようやく止まるだろう」という切なさが伝わってくる。

「恋ふ」と同様な言葉に「思ふ」がある。現代語でも「あの人を思っている」と言う。「おもふ」の「おも」は、「重い」の「おも」であり、心の中に重いものを感じとることが「思ふ」である。「あの人を思ふ」「国の行く末を思ふ」とは、大切なものの重みを心の中に感じながら、あれこれと考えることである。

「悲し」という言葉もある。「妻子(めこ)見れば かなしくめぐし」とは大伴家持の長歌の一節である。「かなし」の語源は「かぬ」で、今日でも「その仕事はできかねる」というように、力が及ばなくて、果たすことができない、という意味である。「会いたいのに会えない」「幸せにしてやりたいのにできない」、そのような愛するものに対する切なる悲哀を表す言葉が「悲し」であった。

「ねがふ」「いはふ」「のろふ」

求婚することを古代の日本語では「よばふ」と言った。「よばふ」とは「呼ぶ」+「ふ」で、「ふ」は継続を意味する。恋人の魂を「呼び続ける」ことである。

同様に「妻子の幸せを願う」などと言う時の「願う」は「ねぐ」に「ふ」がついた言葉で、「ねぐ」とは「和らげる」という意味。神様の心を和らげて、何度もその加護を願うことだった。神職の一つに「禰宜(ねぎ)」があるが、これは神の心を和ませて、その加護を願う仕事を指す。

同様に、「いはふ」は「言う」を続けること。神様を大切にする気持ちを繰り返し言うことで、これが「斎ふ」という言葉になった。

「のろふ」は、「のる」+「ふ」で、「のる」を続けることである。「のる」は「祝詞(のりと)」、「名のり」などに、残っているように、「重大なことを告げること」を意味する。転じて、神様の力を借りて相手にわざわいをもたらそうとするのが「のろふ」である。

日本の神様は、それぞれに支配する範囲が決まっていて、時おり、その地に降りてきて、人間の「ねがひ」「いはひ」「のろひ」などを聞いてくれる。その神様に出てきて貰うために、笛を吹いたり、囃したりして、「待つ」ことが「まつり」だった。その動詞形が「まつる」である。

古代日本人にとって、神様とはそのような身近な具象的な存在であった。

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