このように世界の多くの国では宗教的な背景も異なれば、国際情勢や国内の情勢に対する見解が異なっている人々が同居しているのです。しかも、それが極めて深刻な歴史的な過去とつながっていることもしばしばです。それを知らずに一方的に自らのスタンスで政治の話をすれば、思わぬ不快感を相手に与えてしまう可能性があるでしょう。
さらに例をあげれば、アメリカの中には、宗教的背景によって人工妊娠中絶に強い不快感を持つ人がいます。そうした人に彼らに共通した常識と異なる会話をしてしまったために、相手に思わぬ抵抗感を与えてしまった事例もアメリカの職場では散見します。
ですから、ある程度知り合いになるまでは、政治的なコメントを控え、お互いの交流を進める中で、少しずつ相手への理解を深めながら話題を広げてゆくのが、ビジネス上のコミュニケーションのやりかたなのです。
よく日本人は日本人ではない人を外国人と呼ぶことで、日本人と世界の他の人々とを区別しようとします。しかし、ここで語ったように、実際の世界は、ただ日本と海外とを分離すればよいという単純なものではありません。つまり、日本人は多様な世界の中の一つの民族に過ぎず、日本人も含め、それぞれ異なった人種や民族、国籍の人がいることからくる繊細さを常に心に抱いておく必要があるわけです。
であれば、当然相手方の政治的な事情や宗教的意識について軽率には触れずに、相手との会話を通して、少しずつ相手の状況がわかってきた段階で、より深い会話をしてゆく繊細さが必要なのです。
ではどうすればいいのでしょうか。逆に、自分から進んで開示した情報についてはプライバシーでなく、どんどん質問をしても構わないという意識が世界にはあります。
例えば、職場で家族の写真をみたときは、むしろ遠慮なくこの写真の方は奥さんですかなどといった質問をしたほうが、相手との紐帯を強くできるのです。しかし、そこに開示されていない情報はプライバシーに属します。そこを聞き出すことは却って相手の抵抗を招くはずです。宗教感、政治的スタンス、年齢、性的な趣向などは多くの場合、そのカテゴリーになるのです。
だからこそ、日本人には自ら進んで自分の背景や情報を提供し、相手にポジティブな好奇心を与え、会話を進めてゆくことをおすすめします。そうすれば、相手は開示された情報だと安心して、日本のことについて様々な質問をしてくるはずです。海外の人との交流の基本は、相手に対して自らが進んで情報を開示することにあるのです。