ブームが去った小池氏と希望の党は、この先どうなるのか?

 

新党づくりが本格化したのは、何人かの同志と一定の実績を有する細野豪志氏が8月8日に民進党を離党、若狭氏と接触し、小池氏もまじえて食事をともにしてからだ。政治経験の浅い若狭氏にとって候補者の擁立という仕事は荷が重かっただろう。

細野氏はBSフジの番組で当時をこう振り返った。

私は4月に憲法改正案の私案を出しました。しかし憲法や現実的な安全保障政策は民進党では進まない。だから党を出たんです。

「片思いかもしれませんが」と、若狭氏はそれ以前から細野氏に目をつけていたことを同番組で明かした。

9月の半ばまでは、若狭、細野両氏を中心に話が進んでいた。それを「リセットしたい」と、9月25日に、小池百合子氏が突然、「希望の党旗揚げと代表就任を宣言した。その間、水面下で、小池氏と前原氏が手を組むためのやりとりをしていたわけだが、それについて前原氏は10月27日の民進党両院議員総会でこう語った。

私は共産党などとの「野党共闘」と「小池新党への合流」という2つの選択肢を常に考えていた。小池氏と(候補者調整に入る前段の)話し合いを始めたのは9月17日くらいだ。

離党者がボロボロと出る状況で衆院選に突っ込んでいれば、悲惨な結果になっていた。一方、希望の党の支持率は十数%もあった。あの時点では、あの判断しかなかった。
(産経新聞より)

若狭氏と細野氏は、小池氏が会見する直前まで確かな情報を知らされていなかった

細野氏は言う。

前原さんが何か考えているという雰囲気は感じていた。政党が公認を出していて直前でチャラですよ。驚天動地です。前原さんはすごいと思った。

細野氏はともかく、都知事選以来あれほど小池氏との同盟関係を強調していた若狭氏が何も知らされていなかったのは驚くべきことだ。それだけ、小池氏は若狭氏を軽く見ていたということだろう。

衆院民進党まるごと合流がかなわなかったことについて、前原氏はこう釈明した。

公認候補の選定交渉で、私は約300の選挙区に民進党からの公認候補200人、希望の党から100人にすべきだと主張した。だが、希望側は半々を要求してきた。交渉の結果、1回目の190人の候補者のうち、110人が民進党出身者となった。

希望側は常に強気な交渉態度だった。特に東京や神奈川、千葉、大阪は「民進党候補でなくても勝てる」と迫られた。
(同)

持ち株がじりじり値を下げて損失が拡大しそうなとき、急騰を続けている株を見ると、そちらに乗り換えたくなる。だが、大量買いしたとたん、小池銘柄の株価は急落しはじめた

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