しかし、それでも飲酒が原因で借金を繰り返し、母親から「あんたを殺そうと思ったけど、あんたは私がお腹を痛めて産んだ子供やから、私の手では殺されへん。どうか頼むからもう自分で死んでくれへんか?」と頭を下げて頼まれました。
そして、2007年、遂に会社のお金を横領し逃亡生活に入りました。もうどうなってもいい、金がなくなったら死のうと、逃亡しながら酒を飲み続けました。
大阪・ミナミのビジネスホテルで、飲み仲間からもらった睡眠薬と酒を一緒に飲み自殺を図ったのですが、意識を取り戻した時には府内の警察署に保護されていました。間もなく、母が方々奔走してくれたことで、アルコール依存症を専門に治療する新生会病院に入院することができました。そして、相部屋になった方に断酒会の存在を教えていただき、一緒に参加するようになったのでした。
初めて断酒会に行った時のことはいまでも忘れられません。当時の会長さんが私を見るなり、「よう来たね」と、笑顔で声を掛けてくださったのです。
飲酒のことで虐げられることはあっても、「よう来た」と褒められる経験などなかった私は、会長さんの温かい言葉が嬉しく、「来週も来よう。断酒をやり遂げよう」と決意することができたのでした。会長さんの言葉は現在の私の活動の原点となっています。
お酒の問題を誰にも相談できず、無理解に直面し、すべてを失っていく方がまだ大勢いらっしゃいます。断酒会で体験談を語り続けていく中で同じ悩みをもつ仲間ができます。「断酒は仲間とともに」なのです。
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