「状元」の末路からみる中国教育の危機
二日間に渡る入試が終わって結果が発表されると、そこからはまた、さまざまな喜劇と悲劇が始まることとなる。入試に失敗した高校生が自殺したり行方不明になったりする事件が毎年に必ず起きてしまうが、その一方、統一試験にパスしたり、重点大学の合格証明書を手に入れたりした生徒たちと親族一同が無上の栄光と喜びを味わうのである。
中国昔の科挙試験の首席合格者が「状元」だと呼ばれるのを因んで、各地方で実施された大学統一試験では、その地方のトップ合格者を「高考状元=統一試験状元」と呼んで大いに褒め称える習慣がある。
「状元」となった受験生とその担任の教師は地方当局や学校から賞状と賞金をもらうのは普通であるが、「状元」のために盛大な祝賀会を開いたり、公衆の前で「状元」に赤絨毯を歩かせたりする地方もある。2015年7月、山西省の晋城市では、状元となった受験生を馬に乗って街中をパレードしたことが話題なっていることもある。
このように、大学受験に合格すれば、特に「状元」ともなれば、本人たちにとってあたかも栄光の頂点に立ったかの体験となるのだが、それからの人生は常に栄光の頂点に立てるとは限らない。実際、この数十年以来の「状元」たちのその後の人生に対する追跡調査もあるが、それによると、「状元」となった受験生たちが大学を卒業して社会人になってから、その大半は同世代の普通の人々より格別に優秀で売るわけでもなければ、抜きん出で出世できたわけでもない。激しい受験戦争は結果的に、知識の暗記だけが取り柄の人材を大量に生み出したわけである。
こうした中国流の受験戦争に嫌気をさしたのか、最近、高校を卒業したら進学受験をせずにして、海外留学の道を選ぶ若者は増えている。国内の報道によると、今、海外留学の道を選んだ高卒は毎年20万人にも達している。そしてその人数は毎年の20%の伸びで増えているから、現代版の中国流「科挙試験」はますます多くの若者にそっぽを向かれることとなろう。そこにあるのはやはり、中国という国全体の深刻な教育危機である。
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