本田宗一郎の「右腕」が成し遂げた、HONDAイズム継承という偉業

yomoyama20180111
 

世界のホンダの創業者・本田宗一郎氏は、今も語り継がれる日本のカリスマ経営者ですが、彼の右腕に徹し、生涯支え続けたのが藤沢武夫氏でした。彼の支えなくしては今日のホンダはなかったと言っても過言ではありません。そんな藤沢氏が取り組んだ「後継者育成の仕組みづくり」が、無料メルマガ『戦略経営の「よもやま話」』で詳しく紹介しています。

後継者に何を残すか

以前にも語らせていただいたのですが、松下幸之助さんはご自身の「成功の要因」を「幸運」だったからだと言われるのです。それは「体が丈夫でなかったこと」「学歴がなかったこと」だと言われ、それがために「自分以外の人材に頼らずを得ず」また「衆知を活用しなければならず」これが後から考えると事業を健やかに成長されることになったと「幸運」だったと言われるのです。

そして、学歴があり頑強であれば、一介の中小企業の経営者で終わっていただろう述懐されるのです。もっとも、諧謔の意味が込められているのでしょうが、ある意味の「経営のコツ」を得るに至る経緯をこのように述べておられます。

企業が生れて成長しそれが継続されるについては、一人の天才やヒーローだけに頼るわけには行きません。ところで、天才と言えば日本では「本田宗一郎」ということになるのですが、本田さんは特別な人で初期の技術開発を一手に行いまたホンダ精神を身をもって体現されて「本田イズム」の基を築かれました。ただ、マネジメントに関しては別の人である「藤沢武夫という絶妙のパートナーによって行われたことはご存知のことでしょう。

その藤沢さんが一番恐れたのが本田亡き後の企業の存続でした。企業は本質的に社会に貢献することでもって、それも秀でさらに秀で続けなければならないのが使命があり、本田宗一郎一人に頼っていることの恐ろしさを痛感されていたのでした。と言って、第二の本田宗一郎を育て上げようとしても無理です。

そこで考えたのが「何人かの人間が集まれば本田宗一郎以上になる、そんな「仕組みをつくり上げようとしたのです。そのような目的で創られたのが「本田技術研究所」という「技術者(スペシャリスト)」にとっての働き甲斐の発揮できる場所でした。ここから「アメリカのマスキー法」を最初にクリアーした低公害エンジン「CVCCエンジン」が開発されたのは、誰もが知る快挙でしょう。

好きで入ったその道の学校を出た人は一生その技術で生きてもらいたい。そのために、地位、名声、収入も十分に満足してもらえる『仕組みをつくりたい」が藤沢さんの意図でした。人こそが、それも頭(知恵、知識)を使える環境が整えられて喜んで力を発揮する人こそが、企業の存続と成長を可能にする「貴重な資源」です。

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