失敗を繰り返すのか。日朝首脳会談を模索する総理に伝えたいこと

 

ニクソン、キッシンジャーを出し抜いて、恨まれた田中角栄

冷戦時代の初期、アメリカは、共産党の一党独裁国家・中華人民共和国を敵視していました。しかし、ソ連が強大化してきたので、中国と和解することにした。

1971年7月15日、ニクソンは、「中国から訪問要請があり、それを了承した」と発表。アメリカ政府は、日本政府に何の相談もせず、発表内容を知らされたのは、その15分前だった。日本政府は、大きな衝撃を受けました。

ニクソン訪中は、1972年2月。日本では、田中角栄が72年7月、総理大臣に就任した。彼は、同年9月訪中し、「アッ」という間に「日中国交正常化」を成し遂げてしまいます(ちなみに、米中国交正常化は、1979年)。アメリカを出し抜こうとする田中総理に、キッシンジャーは大激怒。「ジャップは最悪の裏切り者!」と絶叫したことが、明らかになっています。共同通信2006年5月26日から。

「ジャップは最悪の裏切り者」(解禁された米公文書より)
72年にキッシンジャー氏

 

【ワシントン26日共同】ニクソン米大統領の中国訪問など1970年代の米外交政策を主導したキッシンジャー大統領補佐官(後に国務長官)が72年夏、田中角栄首相が訪中して日中国交正常化を図る計画を知り「ジャップ(日本人への蔑称(べっしょう))」との表現を使って日本を「最悪の裏切り者」と非難していたことが、26日までに解禁された米公文書で分かった。

ちなみに、キッシンジャーは、この時の恨みをその後も忘れていなかったようです。アメリカ在住政治アナリスト伊藤貫氏の名著『中国の「核」が世界を制す』に、キッシンジャーと直接会った時の感想が出ています。

キッシンジャーは、日本人に対して鋭い敵意と嫌悪感を抱いている。

キッシンジャーからは不快なものを感じた。彼が、日本人をほとんど生理的に嫌悪・軽蔑していることが感じられたからである。

print
いま読まれてます

  • この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け