シリアは本当に化学兵器を使ったのか? 米国には「やらせ」の前科

 

シリア内戦を挑発したのはネオコン

アラブの春が北アフリカからエジプトを経てシリアにまで波及したのは2011年3月のことで、最初は比較的穏健な、アサド大統領に対して一層の民主化措置を求める市民のデモとして始まった。

ところがそれがたちまち先鋭化し、一部は武器を持ってアサドの治安警察と戦うようになった。そうなったことについては、米欧寄りの報道では「アサド独裁政権が平穏な市民のデモに対して無慈悲な弾圧を加えたので、止むに止まれず市民が武器をとった」というのが定説になっているが、必ずしもそうとは限らない。当初はアサドも、市民らとの対話に応じ、それなりの民主化措置の案を示すなど、柔軟な姿勢を見せていたのである。

他方、これをアサド体制打倒の好機と捉えた国外亡命グループや、イラク戦争後に行き場を失っていたスンニ派の過激集団など、雑多な連中がたちまち流入してデモに紛れ込み、その中には米国のネオコン陰謀集団やイスラエル諜報機関と繋がりのあるゴロツキどもも混じっていて、早速に挑発行為を始めた。アサド側の弾圧と市民側の過激化と、まあどっちもどっち、鶏か卵かというところだったのではないか。しかし、ネオコン的勢力はまことに手回しよく、その年の9月には主だった反体制グループを集めて自由シリア軍を結成させ、それに米CIA 、そのダミーである世界民主化基金、ソロス財団、トルコ、サウジなどが武器と資金を供給するという態勢を作り上げた。それでシリアは一気に内戦に転がり込み、それに乗じてISが勢力を拡張したのである。

それが全て米国のネオコンやそれと重なる狂信的な反共右翼政治家による陰謀だという見方は広く存在していて、例えばネットメディア「ヴォルテール・ネット」14年8月18日付のティエリー・メイサンの「ジョン・マケイン:“アラブの春”とカリフの指揮者」によると、米共和党の大物マケイン上院議員は自ら主催して2011年2月にカイロにリビアとシリアの亡命反体制派を総結集させて「アラブの春をリビアとシリアに波及させる」ためのシンポジウムを開いた。その直後に、まさにその両国で「春」が始まり、あっという間に内戦に転化して行ったのである。

マケインは、シリア内戦が膠着状態に陥りつつあった13年5月には、トルコからシリアに密入国して反体制派の指導者たちを集めた会議を開き、アサド打倒で頑張るよう激励した。その会合の写真は広くネットで出回ったが、左端にいるのは、この時はまだ「自由シリア軍」の幹部の1人であったがすでにイラク北部で「イスラム国(IS)」の樹立を宣言し自らカリフを名乗り始めていたアブ・バクル・アル・バグダディである。

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ネオコンやマケインは世界中の独裁者を倒して米国流の民主主義を輸出しようというイデオロギーに取り憑かれたカルトで、彼らがブッシュ政権の中枢を乗っ取ってアフガニスタン戦争とイラク戦争を仕掛けてビン・ラーディンとサダム・フセインを血祭りに上げ、次にカダフィとアサドを殺し、その勢いでさらにウクライナのヤヌコヴィッチも倒そうとしたのである。

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