先日亡くなられた映画監督、高畑勲さんの代表作のひとつであるアニメ映画「火垂るの墓」は、戦火の中を生きる少年と妹の物語を通じて反戦の決意を確かなものにしてきた野坂昭如氏原作の国民的作品だ。
私たちは戦争を体験した国として、小説や映画など各種メディアを通じて、受け継がれるべき物語があった。
「火垂るの墓」の中で死にゆく幼い命を守るため、反戦が語られてきたはずだった。
シリアの内戦では、アサド政権軍や反政府勢力の双方による攻撃などで、一般市民が犠牲になり街が徹底的に破壊された様子も映像で伝わってきている。
手軽に動画を撮影し、ソーシャルメディアを通じて世界に発信できる世の中において、市街戦の様子がリアルに瞬く間に映し出されたことをメディアの発展と呼ぶのかもしれないが、戦闘を収める力には至っていないのが現状だ。
日本の場合、残酷なものに目を伏せる傾向も、反戦の思いを継続するために適切かどうかも議論する必要があるだろう。
数年前、シリア内戦が激しかった時期に、私はある私立の中学校と高校に講演を依頼され、ちょうど現地で取材していたジャーナリスト経由で入手した空爆直後の街の映像を見てもらった。
爆撃で噴煙にまみれた街の中、逃げ惑う人、叫びながら行き交う人、サイレンの音、そして人の形をした死体と、人のような形の死体のような塊─。
これが、今起こっている戦争の現実だと力説しながらも、やはり私の自制の念から、死体の映像だけはカットした。
真実をありのままに直視したうえで、判断できる社会まで成熟していないということなのだろうか。平和に向けて有効な手段としてのメディアをどう構築していくか。市民とメディアとの議論が必要だ。
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