なぜ法律用語はああもまだるっこしいのか。ご飯論法で考えてみる

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会話の前提や文脈、コミュニュケーションを取る上での「定義」、確認していますか?いちいち確かめるなんてなかなかできませんよね。今回の無料メルマガ『弁護士谷原誠の【仕事の流儀】』では著者で現役弁護士の谷原さんが、弁護活動や企画書提出など言葉の厳格な定義が求められるシーンを例に、定義を確認する大切さと「ご飯論法」の切り抜け方について解説しています。

ご飯論法?

こんにちは。

弁護士の谷原誠です。

少し前、論理のすり替えなどで相手の追及から逃げる話法であるご飯論法」が話題になりました。「朝ご飯を食べたかどうか」を追及する一連の会話を例に、不毛な議論の様子を描いたものです。

ご飯論法 にはいくつかのパターンがあり、詳しくは調べていただきたいのですが、まず示されるのはこのやり取り

「今日、朝ご飯を食べましたか?」
「いいえ、食べていません(実はパンを食べたけど)」

この議論の食い違いは、「ごはんという言葉の定義が原因です。「ごはん」という言葉には、毎日の「食事」という意味、また米を炊いたものという意味があり、後者の場合パンや麺類は入らないことになります。言葉の定義が変わると、議論そのものが成立しなくなってしまうのです。

ご飯論法の例は、相手の質問の意図がわかっていながら故意に論点をすり替えているのですが、このような言葉の定義の食い違いは、期せずして起こることもあります。弁護士の仕事でもよく起こります。

たとえば教師が生徒を殴るという事件を調査するための聞き取りで、以下のようなやり取りがあったとします。

「あなたは生徒に暴力をふるいましたか」
「いいえ、暴力は振るいませんでした」

教師の言葉は「殴っていない」という意味でしょうか。実はそれは明らかではありません。なぜなら「体罰は暴力ではなく愛のムチだ」と考えるのであれば、殴っても「暴力」ではないといえるからです。会話を成立させるためには、まず暴力の定義を合わせることが必要となります。

仮に、これを法律用語で表現すると、

  • 身体の接触を伴う不法な有形力の行使

とか

  • 相手の身体に対する有形的な打撃

といった、持って回った言い方となるのですが、法律の世界では言葉の定義で齟齬が起こらないよう、一般の方にはまだるっこしく聞こえる言葉を使います。法律文書が一読して意味が分からないのもそのためです。

普段の会話は、お互いの信頼や共通の前提にかなり依存しています。それは円滑なコミュニケーションのために必須なことでもあります。すべての会話が法律文書のようだったら、コミュニケーションが成り立たないでしょう。

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