大坂なおみが見せた、「ハイブリッドな個性」が語ること

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海外のメディアのニュースを、日本のマスコミではあまり報じられない切り口で、本当はどういう意味で報じられているのかを解説する、無料メルマガ『山久瀬洋二 えいごism』。著者の山久瀬さんは自身のメルマガ内で、全米オープン決勝で優勝した大坂なおみが見せた涙について語っています。

大坂なおみの見せた『hybrid』な個性が語ること【海外ニュース】

Osaka – who was born in Japan and raised in the United States – has climbed to a career-best seventh in the world rankings after winning her first Grand Slam title.

訳:日本で生まれ、アメリカで育った大坂が、グランドスラムでの初優勝の後、自己最高の世界ランキング7位になる(BBCより)

【ニュース解説】

ハイブリッド hybridという言葉があります。 この言葉は、元々異種の交配によって生まれる新たな品種や雑種のことを意味していました。 最近では、その考え方をさらに進め、hybrid culture という言葉が作り出されました。それは、異なる文化が混合して、新たな文化が生み出されることを意味しています。 そんな hybrid culture の代表として挙げられていたのが、移民によって新たな社会が作り出されたアメリカの文化でした。

例えば、ジャズがそれにあたります。元々アフリカからもたらされた黒人のリズムやメロディに、西欧流の音楽理論や音階へのアプローチが混合してジャズは発展してゆきました。 20世紀のアメリカを代表する音楽家であった、ジョージ・ガーシュインやレナード・バーンスタインは、こうして生まれたジャズやブルースを更に進化させ、逆に西欧のクラシック界に新しい波を届けました。 このことからもわかるように、hybrid culture は、そこに新たな領域を創造するのみならず、旧来の文化にも斬新な影響を与えてきたのです。

ここで、日本での帰国子女の課題について考えてみましょう。 帰国子女は、まさに自身の中に hybrid cultureを育んで日本に戻ってきました。彼らは、海外に接し、それを吸収した後に日本の文化に接したわけです。 しかし、日本はこうした hybrid cultureを受け入れるには、あまりにも mono culture、つまり単一固有の文化へのこだわりが強かったのです。その結果、彼らを受け入れずに疎外したことが、長い間社会問題となりました。

確かに hybrid cultureには弱点がないわけではありません。 例えば、幼い頃にアメリカで育った子供を例にとれば、アメリカで育ち帰国した子供は、英語は喋れても、英語やアメリカの文化への素養は未熟なままに日本に戻ります。そして、日本語や日本文化への素養も中途半端なままに、mono cultureな社会に放り込まれるのです。 この「中途半端 halfway 」な状況が彼らの弱点として指摘されるのです。

ただ、ここでもし、彼らの基盤となった「中途半端さ」を強みと捉える柔軟性が社会にあったとしたらと思います。 「中途半端」を我々は負の価値として解釈することに慣らされてきました。しかし、二つの文化を半分ずつ吸収し、自己の人格の中に新しいアイデンティティ identity を創造した人としてその個人を考えれば、その人は新しい文化を牽引する先駆者として、社会をプラスの方向に導く人材になれるはずです。

今回全米オープンで優勝した大坂選手のことを思い出してみるとよくわかると思います。彼女は、セリーナ・ウィリアムズとの決勝戦で、セリーナの審判への強硬な抗議に圧倒されながらも、それを克服し見事に優勝しました。その優勝の会見で、彼女は幼い頃から使い慣れた英語で、観客に「あなた方が期待していた結果とならずにごめんなさい」と泣きながらコメントしました。

この謙虚さは、明らかに彼女の中に流れている日本人のコミュニケーション文化による発言でした。しかし、彼女の流暢な英語や片言の日本語は、彼女がアメリカで育ったことを物語っています。この hybridさをアメリカの観客も、さらには世界の多くの人々は好意をもって受け入れたのです。「自分は自分」という発想で、hybrid な自己をくったくなく表現している姿が、伝統的に多様な文化を受け入れてきた人々の支持へと繋がったわけです。

対象的だったのが、セリーナ・ウィリアムズでした。 アメリカは建国後240年以上を経過し、れっきとしたアメリカ文化とアメリカ流のアイデンティティをもっています。主張すること、自らの思いを遠慮なく表現することをよしとしたアメリカ流のコミュニケーションスタイルにのっとり、セリーナ・ウィリアムズは審判に、試合中にコーチとコンタクトをとったというペナルティを誤審として激しく詰め寄ります。

アメリカ人の多くは、彼女の行為やそこでの怒りの表現をごく当然のことと捉え、会場は彼女をバックアップするかのようにブーイングの嵐となりました。そして、その後一瞬彼女が大坂なおみに対して攻勢にでたとき、会場から大きな拍手が湧き出たことを覚えている人も多いのではないでしょうか。

そこには、出産の後、肉体的精神的なハンディキャップを克服し、さらに審判の判定にもめげず、攻勢へ転じかかった彼女への極めて単純な賛辞があったのです。それは、アメリカの映画などでよくみられる、sweet revenge「甘美な復讐」という感覚にもマッチした観客の反応でした。

しかし、この大騒動に困惑して、涙を流した大坂選手の反応もまた、アメリカ人にとっては斬新だったのです。トロフィーの授与のときに、再びブーイングがあがります。それは、大坂を非難しているのではなく、セリーナ・ウィリアムズへの審判の判定を不服としたブーイングでした。 しかし、その後の優勝インタビューでの大坂なおみの humble(謙虚)な対応に接し、彼らは大坂に対しても sweet な感覚を抱いたのです。海外のメディアも概して彼女に好意的でした。

確かに、hybrid な自分を率直に表現していた大坂なおみの個性に違和感を持つ人はいないはずです。 しかし、海外で育ち、その後日本の文化に接した人が、自らを常に hybrid であると意識しているかというとそうではないかもしれません。

実は帰国子女の多くは、自らを日本社会に受け入れてもらうために、自身が育んだ hybrid な個性を封印してしまうケースも多いのです。おおらかに自分自身を表現できず、屈折したまま大人になってゆく帰国子女をみるたびに、社会に彼らの真価をしっかりと受け入れる柔軟性を育んで欲しいと思うのは私だけではないはずです。

日本に今必要なのは様々な中途半端への受容性です。 異なる価値や行為を受け入れる受容性は、逆に mono-culture な日本の良さをひきだし、世界に紹介してゆく上でも必要なのです。同時にそれは mono-culture な社会の硬さからくる脆さを補うためにも求められているアプローチなのです。

image by: Leonard Zhukovskyshutterstock.com

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【著者】 山久瀬洋二 【発行周期】 ほぼ週刊

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