郊外型コンパクトシティが廃れ、都市一極集中を生んだ本当の理由

 

でも、ここ10年ぐらいで、現実との格差はさらに広がりました。国には、地域ごとに人口、住宅数の目標値を決めて、人口の分散と分散における核づくりをしようというような動きはまったく見られません。その状況で、団地の管理組合に核になれるよう自力でがんばれと言えるのか…と私は思い悩みます。

小林先生に、どのくらいの規模の団地が核になり得るか伺いました。1,000戸やり方によっては500戸でも核になり得る…と。1,000戸…私には、ちょっと想像がつきません。

私が暮らす浦安市は、市そのものが究極のコンパクトシティと言われます。16万人が暮らす市は、人口目標設定のもと計画的に作られた街でもあります。4km四方というコンパクトな地域に、あらゆる機能が含まれています。ディズニーリゾートから墓地公園まで…です。賃貸と持ち家のバランスもよく、世代が自然に循環する仕組みがあります。都内から引っ越してきた私は、市政が住民と近く、社会資本整備も行政サービスも効率がいい、「コンパクトシティの意義を実感しています。

その中でも、新しくできた街は、エリアごとがコンパクトシティの典型です。1km四方ぐらいのエリア内に、いくつかの団地等と公民館・図書館・小中学校、こども園、いくつもの公園高齢者施設や医療機関、商業施設等があって、団地間の交流も盛んで、ほぼ、徒歩圏での生活が可能です。でも、これらの施設は、最初から都市計画に組み込まれていたもので、ひとつの団地ががんばって誘致したというようなものではありません。

コンパクトシティには、少なくても5,000戸~7,000戸ぐらいの規模は必要な気がします。この規模だと、様々な施策の効率が良く、地域の文化も、人の助け合いの心も、育ちやすいのです。

衰退しつつある郊外の地域で、1つの団地が核になって新たなエリアを形成する…というのは私には、なかなか想像がつかないのですが…。でも、私の中では、50年後を考えたとき、小林先生の言われるように、郊外に、人間らしく豊かに暮らせるコンパクトシティができている…と思えます。

フォーラムのパネリストの皆さんは、50年後はわからない…と(当たり前ですが、伺ってみました、笑)。ひょっとしたら、50年後を妄想しているのは、私だけかもしれませんが、自由な立場にいる者の特権とお許しください。

50年後は、科学技術も画期的に進み、仕事の概念も、仕事の内容も、働き方も今とはまったく違ったものになっていると思います。都心の超過密人口の街であえて暮らす意味が薄れて、もう一度、暮らすための環境が見直されている

進化とは、豊かさを求めることです。時間・効率優先で空間を犠牲にする今の傾向は長い目で見ると豊かさとは逆行している…。今の傾向は、今までの働き方、価値観の延長線上のもので、過渡期の動きである…と思うからです。

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