さて、なぜこのようなことが起きるのか
■学識経験者について定義がない
一般に学識経験者とは、「学問上の知識と高い見識を持ち、生活経験が豊かであると社会が認めている人」とされている。コミュニティスクールの中核として、学校運営協議会の設置を進めている文部科学省においては、早急にこの「学識経験者」についての定義を定め、似非の存在を早急に排除するよう各教育委員会に通知する必要があるだろう。
また、「その他教育委員会が適当と認める者」というようなザクッとした条文は濫用要件となりやすいからガイドラインを定めて、最低限の条件を定める必要があろう。
■監査機能がない
一方で、PTA予算や学校の予算を含めそれに意見することができたり、その配分を管理するなどする機能がある学校運営協議会においては、一般企業と同様に、監査機能をもつ必要もあるだろう。また、委員の任期が長期化しある種の王国を作らないようにすることや癒着を防ぐという機能を持つ必要もあろう。
監査機能なき組織は必ず腐敗する、定義なき言葉は濫用の要件となりやすいのだ。
コミュニティスクール理論はいじめ防止にも繋がる有意義な制度であるのだから、文科省においても、各教育委員会においても、小さな組織を作っていく上で絶対あってはならない腐敗と濫用を防ぐ手立てを早急に取り組んでもらいたい。
編集後記
小さな問題でしょ?と言われれば、確かにそうです。ですが、捨て置けない問題であり、こうしたちょっとした問題が大事に繋がると思います。
その実、私が率いるT.I.U.総合探偵社などは体育会系のノリなところはありますが、上下関係だけの縦社会を私が嫌っているため、排除しています。それは、パワハラを防ぐためでもあります。
体育会系のノリ=組織的にパワハラを許容、と解釈できる事案はあまりに多いからです。
社内でも私は定義を設けています。主任となるには、こういう実績とか評価基準はこの基準というようにハッキリ明示しています。恣意的なことはしないというのが方針です。
民主主義とは何か、小社会であっても定義や基準を明示化して誰もがわかる状態にすることはあって然るべきです。
現代のどこかの国のように、適切なみんなが望むリーダーがいないけど、候補の中ではあの人以外はダメだからでリーダーが決まるのでは悲しいですね。
リーダーがどういう姿勢で態度で動くのか、それによって組織は上下左右に踊ることもありますから、今回の学校運営協議会のような問題は、文部科学省が特にリーダーシップを発揮してくれたらと思います。
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