十数年の実験でわかった、小学校の「帰りの会」がムダな時間な訳

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子どもが自主的に問題点を見つけ、クラス全員に注意を促す「帰りの会」。一見優れた「自治」が機能しているようにも思えますが、実はそこには大きな落とし穴があるといいます。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役教師でもある松尾英明さんが、「帰りの会」で毎年のように起きる現象について考察し、十数年に渡る「実験」の結果導かれた結論を記しています。

帰りの会での一考察

帰りの会の話。

「係からの連絡」などのコーナーを設ける。そうすると、毎年どの学年でも必ず起きる現象がある。子どもから子どもへの注意である。係や当番の子どもから「みんなきちんとしてください」という類のものである。「自治」という面からすると、悪くはないように思える。しかし、毎日帰り(あるいは朝)にこれを聞くのは、はっきり言って不快である。

先日、時間があったので、「たまにはあれば」ということで促すと、出る出る。その日は、6人の子どもから注意が出たさて、その直後で尋ねてみた。

今出たもの全部言える人?

全く手が手が挙がらない。4つ、3つ、2つと下げても、まだだめである。「1つは言える?ときくとやっと手が挙がった。最後の一人が言った「使ったティッシュなどのごみを床に落とさないでください」というものである。

何と、他はほとんど覚えていなかった。衝撃である。しかも、注意した子ども自身も、自分の言ったもの以外は全く覚えていないという有様である(実は大人と同じで、よく周りに注意する人ほど他人の意見は聞いていない普段掃除をさぼっている子どもほど、「○○君がさぼってました~」の告げ口が多い現象と根本は同じである)。

よく考えれば、「音声」なのだから、当然である。聞いた刹那に消える。ただ、2つ目、3つ目と全体で聞いていく内に、だんだんと思いだしてきたようではある。

これは、特異な現象ではない。おそらく、どこの教室も同じである。一年生だからではない。実は過去十数年何度も実験しているが学年が変わってもどこでも同じである。

ここから何がわかるか。

  1.  帰り間際の注意はほとんどきいていない
  2.  話を聞いているようで聞いていない、あるいはすぐ消える
  3.  人に求める割に、みんな自分が応じる気はない
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