日本が終わる。いじめを苦に自殺した生徒を暴言で貶める教師たち

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2016年に山口県で起きたいじめ自殺事件の再調査で教師側の回答が明らかになりましたが、そこに記されていたのは、自殺した生徒に対しての思わず目を疑うほどの「暴言」でした。今回の無料メルマガ『いじめから子どもを守ろう!ネットワーク』ではその内容を明かすとともに、教師たちに常に求められているもの、そして教育の本来の役割について考察しています。

「見殺しにされた」と訴える保護者。いじめ自殺検証委員会の光と影

2016年7月に、山口県周南市で起きた高2生徒自殺事件の、再調査の最終報告書の中で、教師の回答が明らかになりました。教職員20人に聞き取った内容をまとめたもので、亡くなった生徒に対する、いじめやいじりについて、「いじられながらも相手をしてもらった方がいい」、「(いじりをした生徒も)みんな良い子」、「能力が異常に低い」、「学習障害」、「やりとりもかみ合わない」、「質問に対してくどくど言い訳をする」などの発言。母親は「一方的に人格を否定する内容に憤りを超えた強い感情を遺族として抱く」と批判し、「傷つき、苦しめられた息子を見殺しにしたのと同じ」、「真実から目を背ける教員に子どもを指導する資格などない」と訴え、教員らの処分を県教委に求めたと、報道されています。

「いじり」と「いじめ」を決断できない先生とは、厳しい言い方ですが、結局のところ、生徒に対する観察力がなく生徒との信頼関係も築けず指導力がなく責任回避で生きている先生だと思われます。教師は、「人を受け入れること受容)」、「道徳や社会のルールに反する行為を受け入れることとは違う、ということを再認識しなくてはなりません。

先生にとって、授業で積極的に発言したり、場の空気を読んで集団をもりあげたり、成績が良い生徒は間違いなく可愛いはずです。私も教師なのでよくわかります。かつての日本では、優等生、学級委員は、プライベートでも道徳律がしっかりしていました。今でも学問やスポーツの世界で金メダル級の人物は人格的にも優れています。

しかし、少子化による高い期待度、学校と塾の両立、両親共働きであるなどストレスフルの現代社会では、ストレスにさらされた子が得てして教師や親に隠れて残酷なことやいじめをしやすい傾向にあります。さらに、事件が発覚しても素直に認める子や親は少なくなってきています。特に親は子どもの言い分を信じたいものですし、子どもを否定することは自分自身が否定されたように感じ、必死に子どもをかばうことがあります。

しかし、教師はそうであってはなりません。「に流されてはいけないのです。将来に可能性のある子どもの未来を信じて、その道を広げてあげる教育は、決して人道にはずれた行為を罰さず見逃してあげることとは違うのです。やったことはやったこととして、しっかりと指導し、その行為の責任を取らせたうえで心機一転し再出発することができるよう導くことこそ教育者の使命だと思われます。

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