日本が終わる。いじめを苦に自殺した生徒を暴言で貶める教師たち

 

また、なぜ教員は自殺生徒を「学習障害」「やりとりがかみ合わない」とおとしめたのでしょうか。この発言は、先に述べたとおり、2016年7月の事件から約2年も経過した、県の設置した再調査の検証委アンケートにおいてなされました。

教員たちは、「自殺の直接のきっかけは特定できない」、「自殺の原因は複合的」とした、最初の第三者員会の検証結果を読んで影響されたのかもしれない、とも考えられます。

しかし、真に子どもの幸福を考えるのであれば、教師は常に公平フェアネスであるよう心がけねばなりません。したがって、教師であるならば、ひとりの人間として誠実であり人格識見の優れた人であるよう努めなければならないのです。公平さを保った教師が評価されるべきであり、反対に、隠ぺいした教師が処罰されるべきです。そのように、法律を改正し制度を整えなければなりません。それは政治家の仕事です。

もうひとつ、組織としての責任を考えたいと思います。学校組織の場合、私立であっても、公立の場合も、地方公共団体の監督責任があります。実は、今回の調査では、学校組織経営上でも問題をありありと示しています。

この事件を考える際には、リスクマネジメントの重要な原則ハインリッヒの法則」が参考になります。軽微な事故への対策を確実に実施することにより、重大事故の発生を防止することができることを示した法則です。1件の重大事故の背後には29件の軽微な事故があり、さらにその背後には300件の「ヒヤリ・ハット」が存在するというものです。このことを理解していなかった甘い学校経営であった、ということを逆にまざまざと証明していることになっているのではないでしょうか。

最後に、第三者委員会の限界と非公共性について考えたいと思います。「人によって感じ方が違うから、ある人にはいじり、ある人にはいじめ」という発想を元に、いじめではないという報告書が出されることも多々あります。問題から逃げているのです。この誤った解釈が「教育における価値中立」です。

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