怒るべき事案なのだ
我が子がいる人は、我が子がいじめを受け、理不尽な指導を教師から受けたが、我が子が先生を信頼し、やってみると髪を切ったとする。ところが翌日学校へ行くと、教師から、それでは足りないからと滅茶滅茶な頭にされて帰ってきて、よりいじめられていたら、どうするか?と想像してほしい。
我が子がいないのであれば、自分が好きな子がそんな理不尽を受けたらどうするか考えてほしいのだ。
どこに先生に工作ハサミで髪を切ってくれと頼む親がいるのだ。こんな嘘を誰が信じようというのだ。
第三者委員会についても、委員自体の専門性などは十分あるとか、人柄はいいとかは、当たり前のことであり、それよりも重要視されるのは、利害関係や中立公平に担保する環境があるか否かなのであり、審査会に人選ミスだと指摘されるようでは、いたずらに市民の血税を浪費し、ましてや被害者本人の時間を弄び、その保護者を精神的にも肉体的にも金銭面においても浪費させたに過ぎない。委員自体にも貴重な時間を無為に消費させたことになり得るのだ。
こんな杜撰なことをして、誰が得をするのか?よく考えれば、誰によって何が起きようとしているのか容易に想像がつくだろう。こんなことが未だに許されていること自体、私はこの教育行政はどうなっているのか、疑問を持たざるを得ない。まさに怒るべき事態だ。
編集後記
きっとこの記事の後も脅迫が来るでしょう。前回の山口県大島商船高等専門学校のいじめ事件の記事「探偵が暴露。あまりにも酷い大島商船高専いじめ自殺事件の実態」がまぐまぐニュースで出た次の日、脅迫的内容のメールが来ました、学校の関係者から…。正直に事実を言う者の口を塞ごうとするのでしょう。
私には利害関係も地元の有力者の影響もほとんどないので、コントロールできませんから。そして組織には力関係や派閥などの人間関係から私と手を結ぼうとする者もいるのです。つまりは、情報は中からズルズル漏れることもあるということです。
脅されると、より燃えてきます…。
きっと私という人間を理解できていないのでしょうね。人を盾にするということは、その盾を傷つけられないということです。盾がなくなれば、私の矛は確実に相手をとらえます。
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image by: 伝説の探偵