チベットで起こったこと
ペマ・ギャルボさんは1953年、チベットで生まれました。1959年、ペマさんが6歳の時、人民解放軍が侵攻してきた。それで、インドに脱出。1965年からは日本に住んでおられます。現在は、拓殖大学、国際日本文化研究所教授。2005年、日本に帰化されているので、「チベット系日本人」です。
ちなみに私は、カルムイキヤの仕事をしていた時、一度ペマさんにお会いしたことがあります。当時20代の若造だったので、ごちそうしていただきました。ペマさんは覚えておられるかわかりませんが。
そんなペマさんは、幼少時代何を経験されたのでしょうか?『致知』2019年1月号に載っていますので、一部引用させていただきます。
中華人民共和国という共産党一党独裁国が誕生したのは、第二次世界大戦が終結して4年後の1949年。中国はその翌年にチベットヘの侵攻を開始しました。「人民解放軍の基本的課題は、本年中にチベットを帝国主義者の手から解放することである」。それが中国の大義名分でした。
人民解放軍は、「チベットを帝国主義者から解放することである」と宣言して、侵攻してきた。共産主義者が「帝国主義者」というとき、主に「米帝」(アメリカ)、「英帝」(イギリス)を指します。きっと米英人がうじゃうじゃいて、人民解放軍は、米英からチベットを解放したかったのでしょう。
当時、帝国主義者とは白人の植民地主義者を意味する言葉でした。しかし、帝国主義者どころか、チベット国内に居住する外国人は僅か7名にすぎません。そこに中国は2万人もの軍隊を送り込んできたのです。
ええ!!!???外国人は7人しかいなかった?対して、人民解放軍は2万人。それなら、「年内にチベットを帝国主義者から解放する」という目的を果たせるかもしれません。
「帝国主義者からチベットを解放する」という中国の突然の宣言にチベット政府は抗議し、防衛を固めようとしましたが、既に手遅れでした。東チベットに侵入してきた人民解放軍は、少数の、しかも武器の乏しいチベット軍をすぐに駆逐してしまいます。
この部分、「非武装中立で日本は安全」とか、「憲法9条が日本を守ってくれる」など、「夢みたいなこと」を信じている人に読ませたいですね。
国内では次第に人民解放軍とチベット人との衝突が繰り返されるようになり、軍は民衆から食糧を強奪し始めました。道路建設のためにチベット人を強制動員したり、放牧地を畑に変えて土地に合わない小麦を無理やり植えさせるようになったのもその頃です。そのためにチベットは史上初ともいえる飢餓に見舞われることになります。
これ日本に言い換えてみましょう。
日本では次第に人民解放軍と日本人との衝突が繰り返されるようになり、軍は民衆から食糧を強奪し始めました。道路建設のために日本人を強制動員したり、放牧地を畑に変えて土地に合わない小麦を無理やり植えさせるようになったのもその頃です。そのために日本は史上初ともいえる飢餓に見舞われることになります。
想像もできませんね。しかし、こういうことがチベットで実際に起こったのです。
しばらくすると人民裁判が始まりました。宗教者をはじめ数多くの人々が反革命分子の名の下、捕えられて虐殺され、チベット文化を象徴する伝統的寺院や仏像は次々に破壊されました。
これを日本に当てはめると、日本の神社とお寺は破壊されるということですね。