間違いだらけの30年。米の尻を追って世界で孤立した日本の平成

takano20190325
 

4月末日をもって終わりを告げる平成の世。その幕開けの1989年からこれまで、日本は、そして世界はどのような変化を見せてきたのでしょうか。ジャーナリストの高野孟さんは今回、自身のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』で、この30年の間に起きた戦争のほとんどが米国主導であるとし、アメリカが道を踏み外した原因を検証するとともに、その米国を追従し続けてきた日本を批判しています。

※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2019年3月25日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール高野孟たかのはじめ
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

平成の30年間を振り返る──ポスト冷戦の国際秩序づくりの模索

世界に目を転ずると、平成の始まりは偶然ながら冷戦の終わりと重なっているけれども、冷戦が終わっても戦争は一向になくならず、ポスト冷戦の平和秩序の形成はまだ緒にも着いていないかのようである。

パックス・アメリカーナ・パート2の悲劇

平成の30年間を振り返ると、主なものだけでも、89年=米海兵隊のパナマ侵攻とノリエガ将軍拉致、91年=湾岸戦争、92年=ソマリア内戦への介入、94年=ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争介入、98年=コソボ内戦介入、01年=アフガニスタン戦争、03年=イラク戦争、11年=リビア内戦介入、14年=ウクライナ内戦とクリミア併合など、世界中で絶えることなく戦争が続いて、そのほとんどは米国の主導によるものである。

冷戦が終わったということは、第2次世界大戦までの熱戦の時代に戻るということではなくて、冷戦にせよ熱戦にせよ、国家と国家、体制と体制が武力を総動員して、生き死にを賭けて全面衝突するのが当たり前という西欧近代を彩った戦争イデオロギーからキッパリと卒業することを意味していたはずなのだが、米国はそのように問題を捉えることができなかった。米国は冷戦という名の“第3次世界大戦”に勝利して“唯一超大国”となり、“2極世界”から“1極世界”へと進化したのだから、これからはやりたい放題好きなように振る舞っても阻む者はいない──ブッシュ父大統領は錯覚し、湾岸戦争を発動した。この愚行が、その後30年間の、米国自身の脱冷戦化のみならず世界全体のポスト冷戦の新しい国際秩序づくりの作業を甚だしく混乱させたのである。

このブッシュ的錯覚を“パックス・アメリカーナ・パート2”と呼んで適確に分析したのは、著名な軍事ジャーナリストでその頃はハンプシャー大学で平和学の教鞭をとっていたマイケル・クレアである。彼はリベラル派の雑誌「ザ・ネーション」91年2月11日号でこう論じた。

冷戦時代には米国は軍事的にも経済的にも政治的にも優位に立っていた。これがパックス・アメリカーナ・パート1である。ところが湾岸戦争によって始まった新しい時代には、米国は軍事的には優位にあるが、経済的・政治的には力がない。これがパックス・アメリカーナ・パート2である。

パックス・アメリカーナ・パート1は、ベトナム戦争を通じて解体し始め、レーガン大統領がそれを再建しようとして新たな軍拡に着手したが、同時に対外債務が膨れあがった。80年代は日本が世界経済の最もダイナミックな力を持ち、ドイツが世界政治の最も創造的な力を持つことを証明して終わった。

この米国の衰退に直面してエリートたちは2つに分裂した。片方は「経済的地政学(ジオエコノミックス)」派で、日独のモデルに学びながら世界貿易の中での米国の競争力を強化しなければならないというアプローチ、もう片方は「戦略的地政学(ジオストラテジー)」派で、これは軍事力の優位に頼って世界の重要な資源(とりわけ中東の石油)を支配しようという路線であって、湾岸戦争はその戦略的地政学派がワシントンにおいて勝利を収めたことを意味する。

しかし、力で世界を支配しようというこのやり方は、米国内の経済の衰弱を解決するわけではなく、海外での冒険政策のためにより多くの資源を国内から奪うことになる。政治的にも、抑圧が強まり、ジンゴイズム(熱狂的な愛国主義)が横行し、それに疑問を差し挟んだり反対する者には「非国民」のレッテルが貼られるだろう。“アメリカニズム”と伝統的な軍事優先の価値観が幅を利かせ、フェミニズムやゲイや平和主義などの“ソフト”な考え方は排斥されるだろう。

パックス・アメリカーナ・パート2の時代の空気がどういうものであるかは、テレビのハイテク兵器への熱狂のうちにすでに感じ取ることが出来るはずだ……。

これを引用しつつ、本誌No.246(91年3月1日号)「米“湾岸戦争勝利”の意味」は、次のように指摘した。

パックス・アメリカーナ・パート2では、引き続き米国は世界を取り仕切ろうとするのだが、誰にも頼らずに何でも自分でやれたパート1の時代はもう戻っては来ないので、戦費さえも日独や湾岸の王様たちに拠出させなければならない。その屈辱感を気付かれまいとして米国は余計に居丈高になりやすい。

おそらく米国は、今回の勝利に味をしめて今後も居丈高な振る舞いに出るかもしれず、それをどのようにして抑制するかは世界の安全にとって主要な困難となろう。しかしそれは本質的に、20世紀末から21世紀へと向かう時代の流れへの逆行でしかなく、米国は小さな成功と大きな失敗を繰り返しながら、やはり力で世界は動かせないということを学んでいくのだろう……。

この「学んでいくのだろうというのは私の希望的観測にすぎず、実際には米国は居丈高ゆえの無益な戦争をあちこちで発火させ続け、ブッシュの息子によるアフガニスタンとイラクでの戦争にまで行き着いて今もそれから抜けることが出来ないでいる

そのことを、かつてイランの高官は「米国は弱い国としか戦争をしない」と皮肉った(だからイランには戦争を仕掛けられないという意味)。それをもっと原理的に定義したのは、フランスの異能の知識人=エマニュエル・トッドである。

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