米国の尻を追って一緒に間違えた日本
平成の間に日本が戦争をしなかったのは事実であるけれども、米国の要請に応えてジリッ、ジリッと「戦争ができる国」になろうとして匍匐前進を続けたのもまた平成である。
最初は91年4月の湾岸戦争停戦後に海上自衛隊掃海部隊をペルシャ湾に派遣したことで、これが自衛隊の海外での初めての作戦行動となった。92年6月にはPKO協力法が成立し、それに基づいて9月には陸上自衛隊施設部隊を中心とする陸海空部隊と文民警察官がカンボシアに派遣された。
96年4月の橋本・クリントン日米首脳会談で「日米安保再定義」がテーマとなり、それまでの日米安保が日本防衛のために米軍が駐留し、いざとなれば自衛隊に協力することを主眼としていたのに対し、アジアや中東での戦争に出撃する米軍に自衛隊がどこまで協力するかという方向が打ち出された。この従来は“内向き”の軍事同盟を“外向き”に再定義することを「域外化」と呼び、NATOでも同様の転換が行われた。これは、上述のように“唯一超大国”という錯覚に舞い上がりながらそれを裏付けるだけの実力を持ち得なくなった米国が、何とか盟主ヅラを保つための策略であった。
これに基づいて01年のアフガニスタン戦争と03年のイラク戦争ではかなり大がかりな自衛隊部隊の派遣が行われた。これらはその都度、国会で議論して特措法を成立させて実行されたものだが、それを恒久的な枠組みで行えるようにしたのが15年の安保法制である。そしてその安保法制に合わせて憲法第9条を改定したいというのが安倍晋三首相の夢である。
このように、ひたすら米国の尻を追ってその戦争の手助けが出来るようになろうと頑張って来たのが平成の日本であるけれども、トッドが言うように「超大国米国」というのが冷戦時代の過去の習慣だけに支えられた神話にすぎないとすれば、これは滑稽なことである。
こうして日米は手に手を携えて一緒に道を間違えて、ポスト冷戦の新しい国際秩序づくりに参画しないどころか、それに逆行して世界を掻き乱すような役割しか果たしてこなかった。冷戦が終わり、それと同時に実は米国の覇権も終わっていて、それどころか覇権システムという17世紀以来の国際秩序モデルそのものさえ終わって、その後に来るのは誰が極に立つのでもない多極世界の多国間主義に立つソフトな世界運営システムだろうと、誰もが思っている。「東アジア共同体」の呼びかけや、中国の提唱する「一帯一路」構想など、すでにその模索がいろいろに始まっている中で、それに背を向けて20世紀へと戻って行こうとするのが米国と日本ということになる。
image by: 首相官邸
※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2019年3月25日号の一部抜粋です。初月無料の定期購読のほか、1ヶ月単位でバックナンバーをご購入いただけます(1ヶ月分税込864円)。
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