あの天安門事件が、中国の「民主化」に繋がらなかった本当の理由

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30年前の6月4日に天安門で起きた、中国当局が学生らの民主化運動を武力で弾圧するという痛ましい事件。その後の中国は経済発展し、米国と世界2強を争うまでになりましたが、民主化の勢いは絶たれたままなのでしょうか。国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんは、今回の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』で、旧ソ連民主化の事例と比較しながら、中国が今後変革に向かわざるを得ない根拠を記しています。

なぜ中国は民主化できなかった? 天安門事件から30年

1989年6月4日の天安門事件から30年だそうです。

この年は、大きな事件が4つありました。1月7日、昭和天皇崩御。昭和が終わり、平成がはじまる。6月4日、天安門事件。11月10日、ベルリンの壁崩壊。12月3日、ブッシュ(パパ)とゴルバチョフ、マルタ会談で「冷戦終結宣言」。

当時、私は18~19歳でしたが、昭和天皇崩御とベルリンの壁崩壊は、はっきり覚えています。ベルリンの壁崩壊は、後に私がモスクワ留学を決めた大きな原因になった。「北野の人生を変えたできごと」ともいえます。

天安門事件については、それほど記憶にありません。理由はおそらく、天安門の大虐殺が、民主化につながらなかったからだろうと思います。一方、ベルリンの壁崩壊は、その後「東西ドイツ統一」「ソ連崩壊」につながっていきました。なぜ、東欧、ソ連は民主化を実現できたのに、中国は民主化できなかったのでしょうか?

ライフサイクルから考えると

私は、「ライフサイクルが原因でできなかったのだ」と考えています。

ソ連のライフサイクルはどうでしょうか?この国は、1917年のロシア革命で誕生しました。1922~1953年まで31年間この国を支配したスターリンの時代に急成長した(成長期)。特に、戦中戦後勢力を伸ばし、東欧中国北朝鮮の共産化に成功しています。

スターリンの死後、ソ連は、フルシチョフ時代を経て、ブレジネフの時代には、明らかに成熟期に突入していました。ゴルバチョフが1985年に書記長になった時、すでにロシア革命から68年の歳月が流れていた。ソ連が崩壊したのは、ロシア革命から74年目、ソ連建国から69年目です(ソ連建国は、1922年)。

一方、中国はどうでしょうか?

中華人民共和国の成立は1949年。ロシア革命から32年後のことです。国はできたものの、毛沢東の政策は、「大躍進」とか「文化大革命」とかメチャクチャ。自国民が何千万人も死ぬようなおかしなことばかりやっていて、なかなか成長期に入りません。

中国が成長期に入ったのは、トウ小平が改革を宣言した1978年末のこと。天安門事件が起こったのは、改革開始11年目のことでした。つまりこの事件は、「成長期の前期に起こった。それで、中国政府にはありあまるパワーがあり、体制崩壊につながらなかったのです。

この「国家ライフサイクルの話。新しい読者さんは、「迷信」だと思うでしょう。しかし、05年発売の『ボロボロになった覇権国家』を読んでいただければ、「中国は08年~10年に起こる危機を乗り越える」「成長は2020年まで」と書いてあることがわかるでしょう(123p)。

その他、「アメリカの没落」「ロシアは超大国に返り咲かない」「EUは分裂にむかう」「インドは急成長をつづける唯一の大国」などなど。国家サイクルを見てわかったことは、とても多いのです。

ちなみに、東欧が共産化されたのは、第2次大戦後。中華人民共和国建国より少し前。

ではなぜ、中国は民主化されなかったのに、東欧は民主化されたのでしょうか?東欧は、実質ソ連の植民地でした。だから、ソ連弱体化に乗じて民主化できた。東欧は、実質ソ連の一部と化していたので、ソ連のライフサイクルに組み込まれていたのです。

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