「全ての人間の平等」という崇高な理想を求めた共産主義ですが、ベルリンの壁崩壊をきっかけに世界の潮流は一気に自由主義へと激変、その後の共産主義に見切りをつけた国々の繁栄は目覚ましいものがありました。今回の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』では著者で国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんが、そのような結果をもたらした要因について、自身のロシア留学中の経験等を踏まえつつ論じています。
自由があると繁栄する
私は1990年、モスクワに留学し、1992~1998年、ロシアの一般家庭(レオノビッチ家)に住んでいました。レオノビッチ家は、モスクワではごくごく普通の家庭。びっくりしたことがあります。
- テレビが白黒
- ビデオがない
- 洗濯機がない!
- ソ連製の掃除機はあるが、壊れたまま
- 自動車はない
- ラジカセがない(ラジオはあった)
一言でいうと、「物質的にかなり遅れてるよな」と。「当たり前」と思いますか?しかし、当時ソ連といえば、「アメリカに次ぐ超大国」といわれていたのです。私は、「共産主義って、ダメだな」と思いました。
「共産主義」ってなんなのでしょうか?いろいろあるのですが、大きな特徴の一つは、「私有財産がない」のです。会社も全部「国営企業」。働いている人たちは、「全員公務員」。だから、「自己決定権」が全然ない。しかも、「言論の自由」「信教の自由」「結社の自由」がない。要は、「自由があんまりない国」だった。すると、発展しないんですね~。
この話、「ソ連だけ」ではないみたいです。最近、故渡部昇一先生の『戦後七十年の真実』を読んでいたら、面白い記述がありました。
最初の留学先であるドイツでも、左翼には未来がないということを確信しました。当時、ドイツは東西に分かれていましたが、まだベルリンの壁ができる前だったため、東ベルリンに行くことができました。東ドイツに入ると戦争の爆撃の跡がそのまま残っていて、町は廃墟のようでした。
一方、西ドイツは栄えに栄えていて、物資が豊富に出回っていました。車もベンツやアウディなどの生産を始めていました。
(中略)
東西のドイツでこれほど極端な違いがあるのを見て、この差はどこから生まれたのだろうかと考えました。
渡部先生がドイツに留学されたのは1955年のこと。ベルリンの壁ができたのは1961年です。終戦からたった10年で、資本主義の西ドイツと共産主義の東ドイツでは、とてつもない差ができていた。渡部先生は、当時西ドイツの大統領だったアデナウアーさんの演説を聞いて、「西ドイツ発展の理由」を悟ります。
アデナウアーは三つの基本的施策を発表しました。その三つとは、
「絶対に共産主義と妥協しない」
「外交はアメリカと一緒にやる」
「経済政策は自由主義でいく」
ということでした。この三つの施策のもと、市場主義経済を導入した西ドイツは、日本と同じ敗戦国でありながら、社会全体に豊かさがあふれていました。
渡部先生は、ドイツの後、今度はイギリスに留学しました。すると、意外なことに西ドイツほどには繁栄していなかった。その理由について先生は、
戦後成立した労働党の社会主義政権の影響で配給制度の解除が遅れ、なおかつ保守党も社会主義的な制度を続けていたからだとわかりました。
結局、「不自由よりも自由がいい」ということですね。