「人の振り見て我が振り直せ」と言いますが、天才と呼ばれる人たちがどのような失敗をし転落していったのかを知ることは、今後私たちが生きていく上でひとつの糧に十分なりうるものと考えられます。今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』では編集長の柴田忠男さんが、12人の転落した天才たちにスポットをあてる一冊を紹介しています。
偏屈BOOK案内:玉手義朗『あの天才がなぜ転落 伝説の12人に学ぶ「失敗の本質」』
『あの天才がなぜ転落 伝説の12人に学ぶ「失敗の本質」』
玉手義朗 著/日経BP
驚愕の破滅人生!著名な大金持ちが大転落、貧しく寂しい末期を迎える。歴史に残らなかった12人の栄光と挫折に学ぶ、失敗学。というわけで、ニコラ・テスラ、坪内寿夫、山城屋和助、薩摩治郎八、ポール・ゴーギャン、ほか7人。知らない人のほうが多いのは、わたしが無知なだけであろうか。「ホレス・ウェルズ:麻酔の発見者が詐欺師と歩んだ悲惨な末路」なんて知らんがな。
「本書は天才たちの『成功の物語』であると同時に、『失敗の物語』である。その人生をたどりながら『失敗の本質』を探るのが本書の目指すところである」という。成功者と同じことをするのは容易ではないが、失敗に学ぶことは思いのほか簡単で、転落するとき、さしもの天才も凡人の顔をのぞかせるから、似たような局面に出会ったとき、それを真似しなければよいだけだ、という。
天才も凡人と同じヘマをするといいながら、天才達の失敗の本質を深く知ることが必要だという。よくわからん理屈だが、まあいいや。12人の天才たちは、不断の努力と挑戦を続け、大きな成功を掴んだ。誰一人として悪人はいない。彼らは人生の後半以降で仕事を失い、財産を失い、名声を失った。成功者が敗者に転ずる話を「失敗学」として、説教くさく解説してエラそーではある。
孤高の天才画家は脱サラに失敗した証券マンだった、とは?誰?後期印象派を代表する画家ポール・ゴーギャンである。生前はまったく評価されず、金銭感覚もルーズでその日暮らし、健康を害し孤独と貧困の中で非業の死を遂げた。南太平洋タヒチから1,500km北東のマルケス諸島、フランス領ヒバ・オア島、1903年5月8日、54歳。南洋の島でよろしくやっていた画家、と思っていたが。
画家になる前のゴーギャンは、パリのビジネス界で大成功を収めていた。美しい妻と5人の子供、立派な屋敷で豊かな生活があった。ルノワール、セザンヌ、マネら印象派の画家の作品収集でも財産を築いていた。株式の仲買人をやめて画家に転じたのは34歳。収入は激減、家族に愛想を尽かされ、漂流の人生を送った。パリから遠く離れた南太平洋の島で、誰にも看取られず生涯を終えた。
ゴーギャンは画家として独立・開業する脱サラの道を選んだ。創業者として成功できる資質はあったのか。著者は中小企業庁のチェックリスト「創業者として必要な資質は何ですか?」にあてはめてみる。情熱と信念、優れた独創性、事業の経験、幅広い人脈、情報処理能力、自己資金、すべてOKで準備万端、脱サラに太鼓判を押されていただろう。だが、思うような結果が得られなかった。
ゴーギャンの失敗の本質は他にあったのだ。ゴーギャンは妻のメットに一切の相談をすることなく、画家になるという脱サラの決断をしたが、最期までその理解を得られなかった。これが失敗の本質のひとつ。やりたいことをするための脱サラは許容範囲が狭くなる。絵画制作をビジネスとして割り切ることができず、妥協を拒否したゴーギャン、これがもうひとつの失敗の本質だった。
2015年、ゴーギャンのタヒチ時代の作品「いつ結婚するの」(1892)が約3億ドルで売買され、絵画取引の最高額を更新した。ゴーギャンがここまで評価されることになったのは、一切の妥協を拒み、芸術家としての信念を貫き通した結果に他ならない。「ゴーギャンのビジネスモデルは間違いではなく、生前に成果がでなかっただけのことではなかったのか」……そうかなあ?
編集長 柴田忠男
image by: Shutterstock.com