貨幣的価値は別問題。「ありがとう」が芽生える仕事は価値がある

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障がい者支援を始めさまざまな福祉活動に関わるジャーナリストの引地達也さんは、「ケアとジャーナリズム倫理の関係性」を考察する中で、仕事とボランティアがしっくりまとまったと感じられる言葉に出会ったそうです。自身のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』で、その言葉「公共の奉仕者」という立場と、その中で捉える仕事の価値についての考えを述べています。

「公共の奉仕者」としての私と「浄化した意図」

8月24日に韓国の漢陽大学で行われる国際シンポジウムの発表に向けて、現在私は共同研究者であるインド人のアルン・デソーザさんとケアとジャーナリズム倫理の関係性について考察している。 アルンさんはメディア研究者であるが本職はカトリック神父、シャローム大学校にも教授として参画していただいている仲間でもある。私自身もメディア研究をしつつも、福祉的支援、教育的支援の現場での支援者としての立場で考えていくと、「ケアとジャーナリズム」は私たち2人の独特の色彩を帯びてくる。

それは何だろうと二人で考え行きついたのは、どうも私たちはジャーナリズムを司るジャーナリストに「公共への奉仕者」の役割を強く期待し、なかば公正なジャーナリズムには「公共の奉仕者」の立場が前提であると考えていることが見いだされた。

「公共の奉仕者」。この言葉は私にとって長年の懸案から解放される響きを持っていた。これはアルンさんの口から発せられたもので、神に自分の身を捧げた者が持つ深い思考から紡ぎだされたものとして、含蓄がある。

今回のシンポジウムでの発表はメーンテーマセッションである「より良い未来のためのメディア公共性:環境報道、社会の多文化化、メディア・ジャーナリズム倫理」であり、公共性をイメージした論の展開の基本的な足場として、「自分たちは何者か」を考えた時に出た言葉であった。

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